エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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『共産主義黒書』

『共産主義黒書<ソ連篇>』、ステファヌ・クルトワ&ニコラ・ヴェルト=著、外川継男=訳、恵雅堂出版。これは、是非、読んで頂きたい良書である。秘密にされていた、旧ソ連の資料を基に書かれた、社会主義国家の悪事の数々。

個人財産の没収(雀の涙ほどであろうが)、強制移住、強制労働、政策としての農民および少数民族への飢餓(結果として数百万におよぶ餓死者)、小規模事業者・個人事業主の、大粛清・銃殺・虐殺などなど…。
抵抗した人々の多くが(社会主義政権に対して幾つもの一揆が起きている)、商取引の自由を望んでいた事実は重い。
市場経済を否定すると、結果として、悲惨な末路に至るということであろう。

下記は、先に紹介した、『共産主義黒書<ソ連篇>』、12pからの抜粋。

  --ソ連                 死者二〇〇〇万
  --中国                  死者六五〇〇万
  --ヴェトナム              死者一〇〇万
  --北朝鮮                 死者二〇〇万
  --カンボジア              死者二〇〇万
  --東欧                   死者一〇〇万
  --ラテンアメリカ            死者一五万
  --アフリカ                死者一七〇万
  --アフガニスタン            死者一五〇万
  --国際共産主義運動と、政権についていない共産党
                         死者約一万
  殺された合計は一億人に近い。

さらに下記は、マルクス &エンゲルス=著、『共産党宣言』、大内兵衛&向坂逸郎=訳、岩波文庫より、抜粋。

「… 社会的生産諸力を奪取…」(54p)、「…破壊しなければならないものは、これまでのすべての私的安全や私的保障である」(54p)、「…内乱を追求…」(55p)、「…所有権への、…専制的干渉…」(68p)、「…土地所有を収奪…」(68p)、「…財産の没収」(69p)、「…労働強制…」(69p)、「…いっさいの社会秩序を…転覆…」(87p)。

同書を、読めば分かるように、共産主義とは、間違いなく、テロリズム思想そのものです。そこには、道徳性など存在しません。広辞苑によると、テロリズムとは、「暴力あるいは、その脅威に訴える傾向。暴力主義。テロ。恐怖政治。」などとあります。「すべての私的安全や私的保障」を「破壊しなければならない」と言い、「土地」の「収奪」、「財産の没収」、「労働強制」などは、百万人から一千万人単位での大虐殺者であるポル・ポトや毛沢東およびスターリンなどが、実際に、行ったことです。このような非人間的、かつ、非人道的な邪悪さは、恐怖政治思想である、共産主義そのものの本質なのです。もう何年も前から、ネット上で何度か述べていますが、ようするに共産主義とは、オウム真理教と同じ、絶対主義的な〝カルト宗教〟なのです。ちなみに、人文主義的な教養が欠落していると、カルト宗教信者になりやすいのかも知れません。

そして、ドストエフスキー=著、『悪霊(上・下)』、江川卓=訳、新潮文庫からの抜粋。

「前掲書(上)、6p」
  そこなる山べに、おびただしき豚の群れ、飼われ在りしかば、
  悪霊ども、その豚に入ることを許せと願えり。
  イエス許したもう。
  悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺る。
  牧者ども、起りしことを見るや、逃げ行きて町にも村にも告げたり。
  人びと、起りしことを見んとて、出でてイエスのもとに来たり、
  悪霊の離れし人の、衣服をつけ、心もたしかにて、
  イエスの足もとに座しおるを見て懼れあえり。
  悪霊に憑かれたる人の癒えしさまを見し者、これを彼らに告げたり。
                              ルカ福音書、第八章三二-三六節

「前同書、118p」
  「どうしてまた、あの熱狂的な社会主義者、共産主義者という連中が、
  その一方では揃いも揃って信じられないほどのけちん坊で、業つくばりで、
  私利私欲のかたまりなんですかね、しかも、その人間が社会主義者であればあるほど、
  その度が進めば進むほど、私利私欲の程度がひどくなっていくくらいだ…
  これはどうしてですかね? これも例の感傷癖から来るものなんだろうか?」

「前同書、144p」
  …問題の本質といいますか、その道徳的側面には全然ふれておられない、
  いや、それどころか、道徳性そのものをまったく否定されましてね、
  最終的なよき目的のためには全般的破壊あるのみという
  最新の原理を奉じておられるんです。
  ヨーロッパに健全な理性を確立するためには、
  一億以上の人間の首が必要だとまで主張されているほどでしてね…

「前掲書(下)、516p」
  それは「社会の基礎の系統的な震撼、社会とその全根幹の系統的な解体のためです。
  すべての人々の自信を喪失させ、全体を混沌状態におとしこみ、
  このようにしてぐらつきだし、病的に無気力化し、冷笑癖と不信心に取りつかれ、
  しかも同時になんらかの指導的思想や自己保存を際限もなく貪欲に求めている社会を、
  謀反の旗をかかげて一挙に手中に収めてしまうのです。そしてその拠りどころとなるのが、
  全国にくまなく広がっている五人組網で、彼らはこの間にもたえず行動して、
  新たな同志を獲得し、つけ入ることのできるあらゆる手段、
  あらゆる弱点を実践的に探求しているのです」。

ドストエフスキーの、『悪霊』から、120年以上が経ち、地球上で、共産主義者・社会主義者に殺された人間が、一億人に迫(せま)るというのは、如何に共産主義および社会主義のテロル(恐怖政治)が凄まじいかの証左である。

この世に、悪霊に憑かれし者が居るとすれば、それは、共産主義者・社会主義者として存在する。

追記 ; 『共産主義黒書<ソ連篇>』から、引用して紹介したように、マルクス主義(理論)の実践によって、一世紀足らずの間に、この地球上で、およそ、一億人もの人間が殺された。ここで、尊い人命を金銭に換算するのは、憚(はばか)られるが、仮に、一人、一億円として、一億人の人命の損害額は、総計、1000兆円の10倍の、一京(けい)円である。その他に、奪われた財産や、さらには強制労働に対する賠償なども加算するなら、たいへんな天文学的数字の金額になる。そのような、マルクス主義の学的な誤りを指摘し、それを広め、二度と、一億人もの人命と、その財産が奪われないようにできるなら、その学問的成果は、金銭に換算して、1000兆円の10倍以上、すなわち、一京(けい)円以上の価値を有することは、間違いないだろう。おそらく、これほど、世のため、人のためになる業績など、他には、存在し得ないのではないかとも思える。また逆に、マルクス主義そのものが学的に全くの誤りであることが、世界一般に広まらないということは、同じ過ちを、この地球上で繰り返すことにも成りかねない。ようするに、それは、さらに億単位の、尊い人命が奪われる可能性が高まるということである。
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読了

ヴォルテール=著、『哲学書簡・哲学辞典』、中川信&高橋安光=訳、中央公論新社、2005年。

コンディヤック=著、『人間認識起源論(上・下)』、古茂田宏=訳、岩波文庫、2003年。

ようやく、上記の2冊を、読み終えた。どちらも、参考になる部分があった。折りを見て、そのことについて、少し書きたいと思っている。
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『隷従への道 -全体主義と自由-』

 フリードリヒ・A・ハイエク=著、『隷従への道 -全体主義と自由-』、一谷藤一郎&一谷映理子=訳、東京創元社、2004年。
http://www.tsogen.co.jp/np/detail.do?goods_id=230

 一部に、それは違うと言いたくなる部分もありました(たとえば、西欧のヒューム以来の伝統などというところです。ヒュームの思想は、仏教哲学の影響下にあるものと、私は考えています)が、全体的に見ると、やはり大変な名著です。私が読んだのは、東京創元社が、2004年に刊行したもので、原著は、1944年に初版が刊行されています。ですから、1930年頃に旧ソ連で行われた、一般市民に対する、政策としての飢餓やシベリアへの大量強制移住の後のことです。当時、少なくとも数百万人が死んだと言われています(要するに、旧ソ連当局に殺されたのです)。

 重要なことですが、本書の注釈において、ヒトラーが1941年の公式演説でナチズム(国家社会主義)と共産主義(マルキシズム)は同じものであると述べたことを紹介しています。そして、ハイエクは、左翼思想(共産主義)と右翼思想(国家社会主義)が、本質的に同じものであることを見破っています。私も、同様の考えを独自に持ちましたが、もっとはやく、この本を読んでいればと悔やまれます。

 ちなみに、この本が広まらないように、社会主義陣営は、あらゆる手段を講じたそうです(当然、非合法活動も含まれると考える)。実際、日本の社会学者や経済学者、特に左翼系の学者が、この本について、ほとんど何も言及しないのは、やはり政治的な意図があるからでしょう。

 結局、左翼の共産主義体制にしろ、右翼の国家社会主義体制にしろ、また官僚社会主義体制にしろ、市場を否定する統制経済体制は、必然的に個々人の自由を否定し、抑圧体制へと至るということでしょうが、ハイエクは、市場を重視するにしても自由放任の立場ではなく、法を遵守した自由の大切さを述べているように受け取りました。その辺は、まったく同感です。

 最後に一言。左翼の共産主義体制も、右翼の国家社会主義体制も、要するに、全体主義体制というのは、社会全体の為と言いながら、一部の特権階級(ノメンクラトゥーラ)だけが、不当に利得を得られるよう、大多数の一般の市民、個々人に対して、多大な不自由と不利益を被らせ、搾取するとともに、結果として、当の、社会全体を疲弊させてしまう、詐偽体制であるとしか言いようがありません。
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『中国思想のフランス西漸』

 これは大変な論文です。『中国思想のフランス西漸(1・2)』、後藤末雄=著、矢沢利彦=校訂、平凡社。
 七十数年前に、書かれた論文の、増補・改訂・復刻版です。たいへん独創的な論文だと思います。ヨーロッパがアジア(特に中国)へ「進出」した当初から、中国思想や文化が、ヨーロッパへと「逆に」伝播したことを、文献資料により、論証しています。たいへん立派な、学問的業績だと考えます。先達(先学)に敬意を表したい。
 以下は、『中国思想のフランス西漸(2)』、後藤末雄=著、矢沢利彦=校訂、平凡社、2003年の、本文からの、抜粋です。

 さらに吾人の注目を引くことは、中国思想に多大の興味を有し「北京耶蘇会士紀要」の発刊に斡旋したベルタンが、ルイ十五世の末期国民反抗の声に恐れて、「フランス国民に支那思想を接種」すべきことを上奏し、ルイ十五世もまたこの進言を嘉納されたという事実である。 …中略…
 かくの如く中国文化はフランスに紹介され、百科全書家に接触すると同時に、フランスの学会に進出して遂に支那学が成立し著名な中国学者を生じ、中国人をもってエジプトの植民なりと断定する暴論まで、学会の大問題をなしたのであった。それ故、ルイ十四世がフランス耶蘇会士を中国に差遣した学問的大命が完全に成功した許りでなく、中国とフランスとの思想的接触はフランス文化そのものの革新に資益したのであった。恐らくルイ十四世は、かかる結果を来たそうとは夢にも思わなかったであろう。実際、この大王は学問を愛してこれを保護しながら、学問の進歩によって人知が進歩し、延いて人間生活の革新を促すべき事理を理解していなかったのである。(306pより)

 学問の進歩が重要なのは、まったく同感です。中国の「易姓革命」思想が、フランス革命の思想的背景に、有るのかも知れません。以下は、引き続き、同書からの、抜粋です。

 古来、中国では完全に信仰の自由が認められていた。中国には祖先教、儒教以外に仏教、喇嘛教が信奉され、かの基督教は、一六九二年康熙帝時代に公許された。「信仰の自由の使徒」と呼ばれたヴォルテールはこの点において、全く中国の法制に魅惑されたのである。殊に雍正帝は「日本における基督教徒の叛乱」に鑑み、宣教師の異教不認容主義が内乱を醸成することを憂慮し、断然宣教師を駆逐した。この皇帝こそ政治と信教とを識別し、全然この両者を分離することが出来たのであった。換言すればヴォルテールの理想は、中国皇帝によって実現されたのである。それ故、彼は雍正帝の宣教師に与えた勅言を賛美し、帝をもって「神が人間に与えた名君のひとり」とまで激賞したのである。
 私の列挙した中国文明の特徴、道理の尊重、迷信の絶無、賢明な専制政治、法制に現われた仁愛の観念、道徳の奨励、平等の精神、信仰の自由は、皆ヴォルテールの精神であり、その提唱であった。そして中国思想がヴォルテールの生前から耶蘇会士によってフランスに西伝されたこと、また彼が著書中で中国の文物制度を賛美すること、殊に彼の提唱の多くが中国思想と合致することに立脚して、この社会哲学者の意識中に中国思想の影響を認めるものである。(122pより)
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『闇の奥』の奥

この書は、およそ百年前の、アフリカ(特にコンゴ)を舞台に行われた、欧米の人種差別の凄まじさ、さらには、善を偽装する邪(よこしま)さなどを、顕(あらわ)にしたものです。藤永茂=著、『闇の奥』の奥、三交社、2006年の、本文から抜粋。

 …コンゴの先住民社会は疲弊し、荒廃し、その人口は激減していった。ブリタニカ百科事典(一九九四年版)には「二〇〇〇万人か三〇〇〇万人から八〇〇万人に減少してしまったと言われている」とある。正確な数字の決定は望めまい。しかし、一八八五年から約二〇年の間にコンゴが数百万人の規模の人口減を経験したのは確かであると考えられる。
 アメリカの奴隷〝開放〟宣言から半世紀後、一九世紀の末から二〇世紀の初頭にかけて、人類史上最大級の大量虐殺が生起したという事実には全く否定の余地はない。
 しかし、この驚くべき大量虐殺をアフリカ人以外の人間のほとんどが知らないという事実こそ、私には、もっとも異様なことに思われる。この惨劇からわずか四〇年後に生起したユダヤ人大虐殺ならば世界の誰もが知っている。ユダヤ人の受難に比べて、コンゴ人の受難がほぼ完全に忘却の淵に沈んでしまった理由を、今こそ私たちは問わなければならない。(81p~82p)

 若い頃、藤永氏の著書、『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)を読み、衝撃を受けたことがあります。この他に、ラス・カサス=著、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)や、池本幸三&布留川正博&下山晃=著、『近代世界と奴隷制』(人文書院)、それから、ポール・ゴードン・ローレン=著、『国家と人種偏見』(TBSブリタニカ)や、ハワード・ジン=著、『民衆のアメリカ史』(TBSブリタニカ)などは、欧米の人種差別と侵略、そして虐殺の歴史を知るためには必読の書です。ちなみに、藤永氏自身のブログもあります。よかったら、どうぞ(下記、URL)。

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/

追記:参考までに紹介しますが、ゲーテは、このようなことを述べています。『ゲーテとの対話(中)』、エッカーマン=著、山下肇=訳、1984年、岩波文庫、137p~138pより、抜粋。

 「けれども、ドイツ人が哲学上の問題の解決に悩みぬいている間に、イギリス人の方は、その偉大な実践的知性を発揮して、われわれを嘲笑しながら世界を征服している。奴隷売買に反対するイギリス人の長広舌はみんなも知っている。そしてこういう姿勢の根底にはどんなに人道的な原理があることか、といってわれわれをたぶらかそうとしているが、今や、その真の動機が現実的な目的にあるということはあきらかだよ。周知のとおり、こういう目的なくしては、イギリス人は決して何もしないのだから、われわれの方もこれを心得ておくべきだったのさ。アフリカの西海岸のその広大な土地では、みずから黒人を使っているのだから、そこから黒人を輸出するのは、自分たちの利益に反するというわけさ。アメリカには、彼ら自身が大きな黒人の植民地をつくっていて、それが大へん生産的で毎年黒人の数がものすごくふえている。この黒人で北アメリカの需要にうまく応じているのだ。こういったやり方で、きわめて儲けの多い商売をやっているので、外地からの黒人の輸入は、商業的な利益をひどく妨げることになるのだ。そのため、非人道的な商売に反対する説教をぶっているのだが、じつは、ちゃんとこうした目的があってやっているのだ。…」
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『中国はいかにチベットを侵略したか』

 第二次世界大戦後に行われた、中国共産党政権による、チベットへの軍事侵略。刻一刻と着実に侵略の準備を進める中国軍に対して、国として組織的に防衛力を整備しない、チベットという構図が対照的である。仏教国であるチベットの寺院は、中国軍によって大半が破壊され、多くの僧侶や庶民も虐殺される。虐殺を繰り広げる残虐な中国軍に対して、チベット人が自衛のため果敢に戦う姿は、勇ましくもあるのだが、あまりの軍事力の差に祖国チベットを奪われてしまう(奪われた広大なチベットの領土は、日本の国土の数倍に及ぶ)。なぜチベットは、中国に侵略される前に、防衛力を整備できなかったのか…。国家と国民の安全保障の問題を考える時、必読の書だと思う。実際、原子力潜水艦で日本の領海を侵犯する侵略的な中国軍の存在は、日本にとっても脅威以外の何ものでもないのだから…。

 下記は、『中国はいかにチベットを侵略したか』、マイケル・ダナム=著、山際素男=訳、講談社インターナショナル、2006年の、本文からの抜粋引用。

 …何百年も孤高を享(たのし)んできたチベットだったが、戦力なしでは国を保てないことにようやく気づいたのである。かくてチベットは世界に門戸を開き、新時代を迎え入れる準備を始めた。諸法規も改革されていった。
 ラサの三大僧院、デプン、セラ、ガンデンに代表される古い伝統的仏教界はこの改革に狼狽した。仏への冒瀆とまではいわぬまでも、世俗の軍隊を強化するなどとんでもない。非暴力をむねとする仏教の原理とは相容れないものであると猛然と反対した。
 しかしよく見てみると、そこには彼らなりの世俗的計算が働いていたのである。たとえば、新軍隊の維持費として僧院にも課税されることになった。またそれまでの、僧院の私兵である戦士僧侶を中心とする院内警察力の存在が新軍隊によって脅かされるのを恐れたのだ。
 何やかやと度重なる僧院側の圧力でダライ・ラマ十三世は嫌気がさしてしまい、一九二四年にせっかくの軍の近代化を断念してしまった。おかげでチベットは高い代償を払うことになる。(48pより)

 チャムドから緊急の無線がラサ内閣に届いていたが、高級官僚たちも含む五日間のピクニックが催されており、彼らは何の手も打たず催しをつづけていた。しかも驚いたことに、中共軍(引用者注・中国共産党軍)の侵略についてインドその他の通信機関にもまったく通報していなかったのである。国際社会に警告を発することにより、チベット国内が混乱するのをより恐れたとしか思えない。さらに中共軍が中央チベットに侵入してこない限り、東チベットの同胞がどうなろうと構ったことではなかったのだ。しかしそれ以上に政府閣僚の臆病さが問題であった。外国に助けを求めているのが中共軍に知れたら、毛沢東はそれを口実に一気にチベット政府を押し潰しにかかるだろう。理由はともあれ、ラサの貴族階級政府の利己主義が己の運命を決めてしまったといえる。(66p~67pより)

 一九五八年初め、中共は東チベットだけで十五万の兵力を展開させていた。一九五六年に開始された〝改革〟は遊牧民の間にも波及し、抵抗を拡大させていた。「アムドの遊牧民地帯では、男のほとんどは逃亡するか捕らえられるか殺されるかで姿を消してしまった。モンゴル族たちはほとんど皆殺しにされた」(「チベットネーション」紙)
 ココノル湖に近いある地区では、千人以上の僧侶が僧院の庭で一斉射撃によって虐殺された。僧院の大半は財宝を略奪され、破壊され、残った材木、石材は中国本土からの移民の住居に充てられた。アムド族は強制労働に送り込まれ、その三分の二は死んでしまった。最も悲劇的だったのは、祖国奉仕(引用者注・傍点を下線に変更)という名の強制労働に両親が集中できるよう、何千人という子供たちがトラックに積み込まれて連れ去られ、それを阻止しようとした母親たちが近くの河に投げ込まれていったことだ。五十ヵ国でなるジュネーブ人権調査委員会は、約一万五千人の児童がこうして拉致され、行方不明になったと報告している。(164p~165pより)

 それからというもの、そうした虐殺行為は日常的になってしまったのです。思えば、一九三二年八月、ダライ・ラマ十三世はすでにこのことを予言していました。〝遠からずチベットは崩壊するだろう。ダライ・ラマもパンチェン・ラマも父も息子も、聖職者たちも消えてしまい忘れられてしまうであろう。僧侶も僧院もことごとく消滅し、国土も政府の財産も取り上げられ、敵に仕えるか、さもなくば物乞いの如く世界を流離(さすら)うことになろう。すべてのものは苦悩の底に沈み、恐怖に戦(おのの)き、昼も夜も不幸な影を引いてゆかねばならぬだろう〟(40pより)
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『精神現象学』

 『精神現象学』、G・W・F・ヘーゲル=著、長谷川宏=訳、作品社、2004年。ようやく読み終えました。読み終えての率直な感想は、哲学の論文と言うより、修辞過多な文学作品と言った方が、相応(ふさわ)しいように思えました。

 たとえば、ヘーゲルが、共同体の精神を絶対だと言っても、実際には、現に、亡ぶ共同体もあります。

 要するに、亡ぶ共同体(国家および民族)があるという史実から、共同体(国家および民族)の存在自体、絶対ではないことが、理解できます。結局、ヘーゲルの言っていることは、現実から遊離した言説にしか思えません。
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『完訳 紫禁城の黄昏』

 『完訳 紫禁城の黄昏(上・下)』、R・F・ジョンストン=著、渡部昇一=監修、中山理=訳、祥伝社。

 本書は、清朝(満洲民族王朝)末期に、皇帝・溥儀の家庭教師となる、ジョンストンの歴史的な証言だと言ってよいだろう。ジョンストンは、紫禁城の権威が、黄昏て往くさまを、見事に描いている。

 第一章では、日露戦争前の満洲が、ロシアに占領されていたことが述べられているが、シナでは、ロシア勢力を駆逐する、如何なる行動も取られなかったと記されている。ちなみに、最近、出版された、『マオ 誰も知らなかった毛沢東(上・下)』、ユン・チアン&ジョン・ハリディ=著によると、旧ソ連の秘密資料から、張作霖爆殺は、満洲における旧ソ連の謀略だったことが明らかにされている。

 清朝は、その後も、徐々に疲弊して往くが、疲弊の原因は、この場合、外国の圧力よりも、清朝(満洲民族王朝)の中枢部にある。

 国の存亡に、関心のある人には、この書は必読ものであろう。満洲民族王朝の疲弊は、満洲人のみで固められた中枢部、内務府の底知れぬ腐敗にあることが、よく解る。

 国が亡ぶ時は、国の中枢部が、信じ難いほどに腐敗し切っているのだ。これ(特に下巻)を読むと、今の日本の、官僚機構の組織的な腐敗に、相通じるもののあることが、痛いほどに理解できる。たとえば、公金を私物化して恥じない、下衆(げす)な精神など…。

 できれば、この書を読んだ後で、『特殊法人は国を潰す気か』、千葉仁志=著、小学館文庫や、『日本国の研究』、猪瀬直樹=著、文藝春秋などを読むと、腐敗した官僚組織というものが、国民一般、あるいは国家にとって、獅子身中の虫でしかないことが、理解できるはずである。
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『正法眼蔵』

 講談社学術文庫で、『正法眼蔵(全八巻)』、増谷文雄=全訳注が、出揃いました。原文・現代語訳・注解が有りますから、多くの人にとって、読みやすいものだと思います。

 もう三十年ちかく経ちますが、この文庫の底本となった、角川書店刊、『正法眼蔵(全八巻)』、増谷文雄=全訳注を購入した時は、たしか私が、まだ十代の頃で、なけなしの、お金を払った記憶があります(おそらく文庫判だと、当時より数千円ほど、安く購入できるはずです)。

 道元の、『正法眼蔵』は、人類の、哲学思想史に残る名著です。

 少なくとも、哲学・思想・仏教などに関心のある人は、手元に置くべき書物の一つでしょう。ただし、『正法眼蔵』において、天才・道元が語っている内容は、非常に難解です。
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