エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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中国が、日本領土・尖閣諸島を侵略した場合

中国が、日本領土である尖閣諸島を侵略した場合、アメリカは、どうするか?

可能性の一つだが、日米安保条約を根拠とし、日米軍事同盟に中国が敵対したものと認定して、中国が保有するアメリカ国債の無効を宣言するのではないか。アメリカは、これで本格的な戦いとなる前に、約130兆円もの、中国が保有する莫大なアメリカ国債を、合法的に帳消しにできる(国内法によりアメリカは、敵国が保有する国債を無効化できるそうである)。

それから、日本もアメリカと同様に、敵国が保有する日本国債を、無効にできる法律を制定するべきであろう。そうすれば、中国が、日本領土である尖閣諸島を侵略した場合、即時即刻、敵国と認定し、中国が保有する日本国債、約20兆円を合法的に帳消しにできる。

そうすると合わせて、約150兆円もの中国の資産が、瞬時に、消えて無くなる(中国が馬鹿でない限り、そのようなリスクを冒すとは考えられないが…)。
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3/11

去年の今頃は、自身の哲学論文の後半部分を編集・執筆していたと思いますが、それも、ようやく完成し、ISBNも取得しました。

まだ、幾つか、しなければならない事もありますが、あと数か月のうちには、何とか上梓できるものと思っています(おそらく、アマゾンあたりから電子書籍などで…)。

http://ggsoku.com/2012/01/amazon-kindle-fire-jp/

前作に、かなり手を加えたことによって内容的には、より完成度が増し、ほぼ完璧と言えるものになったと思っています(人類の歴史上、最高の哲学だと自負する)。

そして、震災からの復興と日本の再生は、まず哲学からでなければならないとも考えています(後手後手の場当たり的な対処しかできないのは、哲学がないからだとしか言えない)。
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コメントを下さった皆さんへ

どうも、ありがとう。
最近、ちょっと忙しいため、
返信できず、申し訳なく思っています。
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アマゾンが年内にも日本語の電子書籍購入サイト開設…、そして、

アマゾンが年内にも日本語の電子書籍購入サイトを開設か?
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20111020_485080.html

グーグルとアップルは、どうなっているのか。
それは別として、ようやく、私の哲学の論文が完成した(ほぼ完璧だと自負している)。
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謹賀新年

また誓いを、新たにし、新年を迎えたい。
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一流の文学作品、傑作について

私の趣味で、私が一流だと考える、文学作品の傑作について、少しく、述べたいと思います。

まず、何を以って、一流だと考えるかについてですが、それは、その作品に、心を打つ、圧倒的なものが、有るか、無いか、それに尽きます。読んでみて、圧倒的なものが、有れば、傑作ですし、無ければ、凡作ないし、駄作の類(たぐい)に為ります。

たとえば、傑作と言えるものを上げると、宮沢賢治の作品群、ゲーテの『ファウスト』、ドストエフスキーの『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』、紫式部の『源氏物語』などなど…。

それから、文学作品とは呼べないかもしれませんが、新渡戸稲造の『武士道』や『ゴッホの手紙』など、これらも、世界的に見て、その、文学的内容において、まさしく、一流だと考えています。

また、人それぞれ、好みは異なりますが、私の場合、思わせ振りな、終わり方の作品は、あまり、好きに為れません。それは結局、その作品で作家が、何ごとかを、言い切れないために、思わせ振りな、技巧・テクニックに走っているように、受け取れるからです。

要するに、中身の無い作品でも、中身が有るかのように思わせたい場合などに、思わせ振りな、技巧・テクニックが、使われる場合も有るのです。

そして作家は、作品、創作時点において、自らの全てを、その作品に込めるべきだとも、考えています。

未完である、『カラマーゾフの兄弟』のように、結論が出ていなくとも、その時点における作家の全てが込められているならば、作家が、作中人物に言い切らせた、真摯な問い、そのものに、心を打たれることも有るのです。

おわりに、作家の全てが込められ、言い切った好例として、ゲーテの『ファウスト』の一節を、引用したいと思います(ゲーテ、『ファウスト』、高橋義孝=訳、新潮文庫より)。

  そうだ、己(おれ)は、こういう精神に、この身を捧げているのだ。
  それは、叡智(えいち)の、最高の結論だが、
  「日々に、自由と生活とを、闘(たたか)い取らねばならぬ者こそ、
  自由と生活とを、享(う)くるに値する」。
  そして、この土地では、そんな風に、危険に取り囲まれて、
  子供も大人も老人も、まめやかな歳月を送り迎えるのだ。
  己(おれ)は、そういう人の群れを見たい。
  己(おれ)は、自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。
  そういう瞬間に向って、己(おれ)は、呼びかけたい。
  「とまれ、お前は、いかにも美しい」と。
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鳩山首相、著作権保護期間延長に向け「最大限努力したい」

 たまには、鳩山首相も、いいことを言うな、と評価している。基本的に、欧米と同じ著作権保護期間にするのは当然だと考えている。著作権が欧米と同じように、著作者の死後50年間から70年間に保護期間が延びたとしても、図書館で読めるわけだから、それによって、一般の人々は何の不利益も被らない。そもそも、著作物が公表された直後ですら、引用は現行の著作権法上も、ルールに則れば自由なのだから、研究者等にとっても何の不利益にもならない。

 では、誰が困るかと言えば、他人が創作した著作物を自らは何の努力もせず、不当に利用しようとする連中だけが困るのである。だいたい、世の中には、人を殺してでも、他人の財物を奪い、美味い汁を吸おうとする凶悪な連中も存在するのだから、著作者の死後、すぐに著作権保護期間が無くなってしまうようであれば、不当利得を得ようと、売れそうな著作物の著作者を殺そうとする悪辣な連中が、跳梁跋扈するようになるのは、火を見るよりも明らかである。そのようなことを未然に防ぎ、民主主義社会の大原則である、言論の自由を守るためにも、著作権は、著作者の死後も相当程度の期間、保護されるべきなのである。

 そして、また、日本が、創造立国を目指す国家戦略を有するのなら、第一義的に尊重しなければならないのは、創作者であり、創造者であり、独創者なのである。故に、当然、不当利得を得ようと、他人の創作物を掠め取ろうとするような連中には、厳罰で臨むべきなのは、言うまでもない。

鳩山首相、著作権保護期間延長に向け「最大限努力したい」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/19/news036.html
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大雪

 東北地方では大雪、そのため今日は、朝と夕方の二度、雪掻きを行った。
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謹賀新年

明けまして、おめでとうございます。
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天皇陛下即位20年

問題山積ですが、何は、ともあれ、喜ばしいことです。
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告知

最近、急に私のインターネット接続環境が悪くなり、しばしば、インターネットに接続できたり、できなくなったりの状態が続いています。よって、私へのメールや、このブログへのコメントおよび、私のWEBサイトの掲示板への投稿に対する返信は、遅れがちになると思います。
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アウン・サン・スー・チー氏に、有罪判決

スー・チー氏有罪判決、ASEANに波紋広がる
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090812AT2M1202P12082009.html

たしか、この事件は、アウン・サン・スー・チー氏の住居に、外国人が侵入したことで、アウン・サン・スー・チー氏が、罪に問われたものと記憶していますが、住居に侵入した外国人が罪に問われるのは当然として、住居に侵入された側のアウン・サン・スー・チー氏も罪に問われるというのは、異常としか言いようがない。

アウンサンスーチー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BC
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最近の、中国関連のニュース

【他国の言論の自由を、否定しようと干渉する中国】

カーディル氏の映画上映 豪、路上で小競り合いも
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090809/asi0908090922002-n1.htm
中国海軍の増強は脅威=予算追加し軍備増強を図れ―インド紙
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=32871

中国は真相を隠している ラビア・カーディル氏(上) (4/4ページ)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090801/chn0908011801002-n4.htm
私たちはテロリストではない ラビア・カーディル議長(下) (1/5ページ)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090809/chn0908091301001-n1.htm

【中国GDPに水増し疑惑!】

中国GDP水増し疑惑、語るに落ちた?マイナス発表の山西省を表彰
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090809/chn0908092005003-n1.htm
中国GDPに水増し疑惑 成長率でも中央と矛盾
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090804/chn0908041823005-n1.htm
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ラビア・カーディル氏、来日

『ウイグル暴動は中国の挑発原因』 カーディル氏
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009072902000246.html#print

【ウイグル暴動】1万人不明説、国連総長「調査の必要ある」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090730/chn0907301209004-n1.htm

ラビア・カーディル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AB
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よろしければ署名を(チベット人2人の死刑執行停止)

チベット人2人の死刑執行停止を!
http://www.sftjapan.org/nihongo:stoptheexecutions

オンライン署名(英語)
http://actionnetwork.org/campaign/stoptheexecutions/
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北朝鮮、長距離弾道ミサイルを発射

平成21(2009)年、4月5日、核兵器を保有している北朝鮮が発射した長距離弾道ミサイルが、日本列島上空を飛び越えた。テレビ・ニュースなどを見ていると、「冷静な対応を」と、述べているキャスターも居るが、国民の、ほとんどは冷静である。

問題は、冷静になるだけで、何もしない、あるいは、何もしなかったというのでは、お話にならないということである。

このようなことになる可能性は、10年以上前から分かっていたことである。当然、本来なら、現時点において、北朝鮮の核弾道ミサイル攻撃から、日本国民の生命と財産を守る、実効性のある防衛力が整備されていなければならないのだが、実際は、穴だらけのザルを被っただけにしか思えない。

もはや、北朝鮮の核弾道ミサイルが、広島・長崎・東京などに向けて、発射される可能性も否定できないというのに…。
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「私は常に卵側に立つ」

村上春樹氏は、先頃、エルサレム賞の受賞スピーチにおいて、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と述べた。1987年に『ノルウェイの森』が出版された後、しばらくして中国の天安門では、虐殺事件が起きたが、氏は、天安門などで非武装の中国人市民が、中国共産党政権の弾圧で、戦車に轢かれ殺されている時に、卵の側に立って中国共産党政権を糾弾したことが有るのだろうか? もし無いのであれば、「私は常に卵側に立つ」という言葉は、虚言にしか聞こえない。おそらく、ヴォルテールのような作家なら、実際に、常に卵側に立った言論活動を行ったであろうが…。

天安門虐殺 (Tiananmen Square Massacre in 1989) 六四事件
http://www.youtube.com/watch?v=mXBSlmqy2O4&feature=related
天安門事件の写真
http://www.youtube.com/watch?v=xJlloj5Xams&feature=related

【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文 - 47トピックス
http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php

(注)上記の投稿は、某掲示板に投稿したものを基に加筆したもの。
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チベット動乱から50年

ダライ・ラマ、チベット動乱50周年で声明
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200903100018.html

「数千人を恣意的逮捕」と批判 チベット自治区周辺
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090310/chn0903100117002-n1.htm
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謹賀新年

明けまして、おめでとうございます。
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祝・WEBサイト開設10周年

私が、私自身の、WEBサイトを開設して、本日で、10年が経ちました。今夜は、2~3杯、よけいに飲もうと思う(笑)。

http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/sh.thesis.hp-index.html
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ソルジェニーツィン氏の死、そしてチベットの自由の抑圧

ソルジェニーツィン氏が3日夜、心臓病で亡くなられたそうです。
哀悼の意を表したい。
ソルジェニーツィン氏が、旧ソ連の共産主義体制の抑圧により、自由を奪われたことは、周知の事実でしょう。

いま、チベットでは、中国の共産主義政権により、かつての、ソルジェニーツィン氏のように、多くのチベット人が抑圧され、自由を奪われています。

Candle for Tibet (抗議の灯火)
http://www.candle4tibet.org/jp/

我、静かなる怒りを、灯火に籠めん。
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チベットに、自由を!

現場入り妨害と中国非難 国境なき記者団
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/130853/

「国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)は…」、
「…中国が北京五輪招致の際に表明した報道の自由に関する約束に違反するとし「中国政府は目撃者のいない場所で弾圧を準備している」と批判…」。(上記、サイトより、引用)

ローマ法王、チベット憂い「人災は故意に隠される」
http://www.asahi.com/international/update/0324/TKY200803240047.html

チベット弾圧:チベット人に扮した警察官がデモ隊を扇動
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d53827.html

Beijing orchestrating Tibet riots
http://buddhism.kalachakranet.org/chinese-orchestrating-riots-tibet.htm

各家庭から1人連行、密告奨励も=チベット人への締め付け強化-中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080326-00000014-jij-int

CHINAZIS
http://imagepot.net/view/120626670477.jpg

仏大統領「あらゆる選択肢」・北京五輪開会式不参加も
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080326AT2M2503J25032008.html

英皇太子、北京五輪出席せず。中国のチベット政策に抗議
http://www.voiceofindia.co.jp/content/view/772/81/

今まさに、“CHINAZIS” によって、罪の無い多くのチベット人市民が、ゲットーへと、送り込まれているのかも知れない。
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戦争を宣言、中国が、ダライ・ラマ支持派との…。

「群衆に装甲車突入」…ラサ住民
(2008年3月16日03時37分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080316-OYT1T00024.htm

チベット:抗議デモと軍の衝突で80人以上の死者
【大紀元日本 3月15日】
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d33805.html

再送:チベット暴動、中国はダライ・ラマ派との「人民戦争」を宣言
[北京 16日 ロイター]
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-30846720080317

チベット・ラサで数百人拘束 デモ、各地で拡大
「中日新聞 2008年3月17日 夕刊」
http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2008031702096136.html

たいへんな事件ですが、報道は、現在進行形でチベットの侵略と植民地化を実行している中国側により、制限されているとの事。早急に、国際機関による調査が必要でしょう。

また、下記サイトには、中国の保安隊に射殺されたという、チベット人犠牲者の写真も掲載されています。

Tibetan Centre for Human Rights and Democracy(チベット人権民主化センター)
http://www.tchrd.org/

チベットに、自由を!
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ギフテッド・タレンテッド教育

ある人から教えてもらったのだが、欧米で行われている、こういう教育は、早急に、日本でも行うべきであろう。下記、URL参照のこと。

ギフテッド - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%95%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89

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将棋の勝負(アンリ・ポアンカレ)

下記は、ポアンカレ=著、『科学の価値』、吉田洋一=訳、岩波文庫、1992年からの、抜粋。

 将棋の勝負の場に居合わせたとき、その勝負を理解するためには、駒の動きに関する規則を知っているだけでは十分ではない。そういう規則を知っていれば、それぞれの手を規則に従って指したのだということを認め得るようになるだけのことであって、それができたからといって、ほんとうのところ大した値打ちはない。ところが、数学の本を読む人が単なる論理型に過ぎないとすると、そういう読者のなすところは、まさに、いま言ったようなことに異ならないのである。勝負を理解するというのはこれとはまったくちがう。勝負を理解するというのは、将棋を指している人が、勝負の規則を破ることなしに駒を動かしてもよかりそうな手がほかにもあるのに、その手を使わないで駒を進めたのはどういうわけかを知ることなのである。それは次々に指される一連の手を全体として、一種の有機体ならしめるような奥深い理由を見てとることなのである。将棋を指す人自身、いいかえると創案者にとって、この能力が必要であるのはなおさらのことである。(38p~39pより)

 わたしはすでに、数学を教授する際に直観が占めなければならない地位について、これを強調したことがある。直観がなければ、若い精神は数学を理解する道に入門することは不可能である。数学を愛することを学ぶことなく、そこにいたずらな言葉のうえの争いを見るだけのことになってしまうだろう。とりわけ、直観なしでは数学を応用できるようには決してならないだろう。
 しかし、今日わたしが語りたいと思ったのは、なによりもまず、科学自身における直観の役割についてであった。もし直観が学生にとって有用だとすれば、独創的な科学者にとっても、なおさらのこと有用なのである。(36pより)

上記の引用で、ポアンカレが言わんとしていることは、結局、高度であっても数学の計算の規則を機械的に憶えただけでは、ほんとうのところ大した値打ちはなく、学問上の新機軸を創案できてこそ、本当に意味があるのであり、そのような独創のためには、直観が重要であるということであろう。実に、当然のことである。
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謹賀新年

本年が、皆にとって、善い年でありますように…。
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創造性について

 すでに知られていることを憶える能力(たとえば教科書に書かれていることを憶えるような能力)の高さというのは、分かりやすく言うと、知識を仕入れる能力の高さでしかない。しかも、それは、憶えたとしても受け売りの知識でしかなく、自らが生み出したものではない。

 社会的に重要度が遥かに高いのは、自らが生み出すという、創造的な能力なのである。分かりやすく言うと、教科書に書かれていない新たな知見等を、相応の根拠を持って考え出せること、それこそが、創造的な能力である。また芸術の場合は、既存のものとは異なり、かつ、人々に大きな感銘を与えるような新たなものを生み出せる能力であろう。ちなみに、受け売りの知識しかないというのは、猿真似しかできないようなものである。
 
 数学者であり、物理学者であり、天文学者でもあり、最後の万能の天才とも言われた、アンリ・ポアンカレは、大学の入試で幾つかの教科のテストのうち、一つの教科が全くの〝0点〟であったそうである。本来、不合格なのだが、そこの学長は偉い人で、ポアンカレの才能を認め、特別に入学を許している。その後、ポアンカレは、数学および物理学において偉大な業績を残したのだが、一つ例を上げると、三体問題は積分を求めるという方法では解きえないことを証明した論文を発表している。これは、その後の複雑系に関する学問の出発点をなす論文だとも言われている。いまだ誰も証明していないことを証明した優れた学問的業績であることは間違いない。そのような業績を残したポアンカレであるが、実は、計算が苦手だったそうである。実際、ポアンカレ自身が自著で、自分は因数分解ができないと書き記している(数学者なのに…)。

 最後の万能の天才とまで言われたアンリ・ポアンカレは、実は、非常に偏った能力の持ち主であったことが、上記から理解できると思う。おそらく、偏っていたからこそ、特定の分野で偉大な業績を生み出すことができたのだと考える方が適切であろう。その他にも、天才と認められるヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、中学校中退であり、その能力は、絵画という特定の分野においてこそ、最大限に発揮された。そして、たしかモーツァルトは、正規の教育を小学校までしか受けたことがないと聞いたこともあるが、しかし音楽の分野で偉大な業績を残したことは間違いない。

 たとえば、普通の人間の才能100と努力100を、全体と考えた場合、普通の人は、10の方向(全方位)に、それぞれ10ずつ振り分けて才能を発揮し10ずつ努力する時に(1方向10の才能と10の努力の積を、その方向分野の能力と仮に考える)、ある人は、ある1方向においてのみ、集中して100の才能と100の努力を傾けたとすると(1方向で100の才能と100の努力の積を、その方向分野の能力と仮に考える)、双方を比較した場合、その方向においては、普通の人間の100倍の能力を発揮できるものとも考えられる(実は、この場合、元になる才能と努力の数値を見ると、どちらも同じである。ただ、分散させて能力を発揮したか、ある方向に集中して、能力を発揮したか、どうかの違いでしかない)。しかも、その1方向においてのみ、10年間あるいは20年間、それへの努力を傾注した場合に、ゴッホなどのような偉大な業績が生み出せるものと考える。

 では、如何なる分野においても何の努力もせず、10年間あるいは20年間、遊び呆けた場合は、どうか。それは、単なる怠け者であろう。
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ユルスナールの、『源氏物語』観(転載)

 承諾が得られましたので、ここにユルスナールの『源氏物語』観などを、如月さんの掲示板から転載します(下記URLより、どうぞ参考に…)。ちなみに、以下の投稿にもあるように、ガレーによるユルスナールへのインタビュー記録、『目を見開いて』(邦訳=白水社<ユルスナール・セレクション6>、岩崎力訳、 2002年)が、如月さんの引用元です。
http://www.furugosho.com/cgi-bin/newbbs/yybbs.cgi?

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ユルスナールの『源氏物語』観 投稿者:如月 投稿日:2007/02/12(Mon) 00:24 No.4526

 親鸞教団についての研究を横ににらみながら、実は先日からマチュー・ガレーによるフランスの女流作家マルグリット・ユルスナールへのインタビュー記録『目を見開いて』(邦訳=白水社<ユルスナール・セレクション6>、岩崎力訳、2002年)を読んでいる。
 ユルスナールはもともと私がとてもすきな作家で、このインタビュー、全体がとてもおもしろいのだが、なかで、彼女が『源氏物語』についてふれた箇所を紹介してみよう。
 ちなみにユルスナールは、短編集『東方綺譚』のなかで、『源氏の君の最後の恋』のタイトルのもと、『源氏物語』では題名のみ記され省筆された「雲隠」の巻を想像で書いている(邦訳は白水社<ユルスナール・コレクション4>に収載)。ユルスナールの来日に立ち会った渡辺一考さん(despera 亭主)によれば、日本での彼女は、『源氏物語』のことだけをしきりに気にしていたという。
 インタビュー集のタイトル『目を見開いて(Les yeux ouverts)』が、ユルスナールの代表作『ハドリアヌス帝の回想』(邦訳は白水社<ユルスナール・コレクション1>に収載)の結びに引用されたハドリアヌスの詩によっていることは言うまでもない。

   *    *    *

 ガレー「日本文学を発見なさったのはいつごろですか?」
 ユルスナール「非常に早く、20歳ごろでした。フランス語に訳されたものはほとんどありませんでしたが、英語には訳されていたので、英訳でたくさん読んだのです。たとえばアーサー・ウェイリーの『源氏物語』のように、すばらしい翻訳があります。
 フランス語の新訳は、文法に関してとても興味深い原則にのっとって構築されています。その原則というのは、要するに訳文をフランス中世の文体に近づけようとするものなのですが、私としては全面的に賛成するわけにはいきません。たしかに一理ある考えではあります。ただ私には、原文と私たちのあいだに、私たち自身の中世趣味を介在させない訳文のほうが好ましいのです。一種の力業なのはたしかですが、私は半分満足という状態にとどまっています。ヴィクトル・ベラールによる『オデュッセイア』の翻訳も同様で、ペネロペーは女城主になり、しかじかの人物は馬係になっていました。J・M・エドマンズによるギリシア詩の翻訳は実にすばらしいと思いますが、ルネサンス期のイギリス田園詩に想をえているテオクリトスの翻訳は好きになれません。」
 ガレー「『源氏物語』という日本の小説のなかで、なにがとりわけあなたを引きつけたのですか?」
 ユルスナール「女性の登場人物の複雑さ、光源氏という主人公の、さまざまな女性との関係や、それらの女性たちの多様さにたいする感覚、さらには彼女たちにたいする自分の感情の多様さへの感覚、そういったものから見てとれる並外れた繊細さ、鋭敏さによって、これは私の知るかぎりもっとも豊かな小説のひとつです。そしてふたたび私たちは、あるときは同情愛に、あるときは共感愛に、さらにはまた遊戯愛に引き込まれるのですが、いずれも堂々としたもので、この国の文明はそこに、ベッドでの手管以外のあらゆる芸術、詩、音楽、絵画、書道、香道、さらには目に見えぬものとの接触さえ重ね合わせているのです。」
 ガレー「西欧文学のなかに『源氏物語』に似ているものがあるとしたら、どんな作品でしょう?」
 ユルスナール「似ているものは全くありません。男女関係の心理のみならず、事物の浮動、時の移ろいにたいする深い感覚についても、それらの愛の挿話の数々が悲劇的であると同時にはかなくあえか(ママ、転載者・注「あでやか」か?)なところを見ても、信じがたいほど繊細な作品なのです。書き出しはみごとです。帝は更衣を失ったのですが、彼女は朝廷で絶大な権力をふるう一族の出ではないだけに、宮廷の陰謀やライヴァルたちに精神的に苦しめられたあげくの死でした。そこで帝は女官のひとりを遣わし、亡き更衣の年老いた母と、更衣とのあいだにもうけた幼子がその後どうしているか、尋ねさせます。帰ってきた女官はことこまかに話しますーー多かれ少なかれ打ち捨てられた家、家のなかに漏れ落ちる雨、荒れ果てた庭、涙にかきくれるばかりでなにひとつ説明できない老母、それにひきかえ、逆に陽気で生気にあふれ、非常に美しい男の子などのことを。世代の移り変わり、彼らの孤独、そして同時に生と死を通して彼らを結びつける絆、それらをめぐる感情がみごとに表現されています。
 もっとも敬服する作家は誰かとたずねられるとき、すぐさま心に浮かぶのは紫式部の名前であり、同時に並外れた敬意と畏敬の念をおぼえます。それは真に大作家であり、11世紀の日本、つまりこの国の文明が頂点に達した時代の、実に偉大な女流作家です。要するに、彼女は日本中世のマルセル・プルーストなのです。社会的変動、愛、人間のドラマ、不可能に立ち向かう人びとの流儀などに関する感覚を備えた天才的女性です。世界じゅうのどんな文学でも、これ以上の作品はありません。」(上掲書135-7頁)

宗教に関するテクストと民衆 如月 - 2007/02/12(Mon) 13:17 No.4529

 ヨーロッパの民衆の信仰とテクストの問題について、ユルスナールは次のように指摘しています。

   *    *    *

 ガレー「(古代人は)死すべきものとわかっている神々を、どうして信じることができたのでしょう?」
 ユルスナール「いつかは死ぬはずの誰かの存在を、私たちはどうして信じることができるのでしょう?私たちは、人びとの形と個性がいずれ消滅することを受け入れています。さしあたり彼らは現にいま存在し、愛されているのです。
 『冠と竪琴』への序文で、ギリシアの宗教について少し述べようと試みたとき、ひとつ気づいたことがありました。神々に関する文学的、哲学的テクストは、教養ある階級の人びとによってしか書かれず、読むのもそういう人たちだけだったということです。民衆の信仰は、おそらく古代世界の終わりまで、昔のままにとどまっていたのだと思います。信徒の群れは自分たちの神々に祈りつづけ、結局キリスト教中世の正教にまで生きのびたのです。」(前掲書307- 8頁)

 こんなことを書くと突拍子もないと感じる人も多いと思いますが、私は、ここでユルスナールが言っていることは、峰岸純夫さんの次の指摘にとても近いように思えるのですね。

 「浄土信仰の広がりを、旧仏教(顕密八宗体制)の枠のなかで把握するか、あるいは浄土系鎌倉新仏教(浄土宗・浄土真宗・時宗)とみるか、大きな問題であるが、その枠組はむしろ教団・教派の側の問題であって、広範な民衆を含む多くの人びとの世界では、旧・新にこだわらずに汎浄土的信仰の「風土」が形成されていたと考えてよいのではないかと思われる。」(峰岸純夫「中世東国の浄土信仰」260頁~『中世東国の荘園公領と宗教』<吉川弘文館、2006 年>所収)

ユルスナールの死生観 如月 - 2007/02/13(Tue) 00:33 No.4531

 上に引用した、『源氏物語』についての言説、信仰とテクストについての言説は、『目を見開いて』をとおして明かされるユルスナールの思想のほんの一部、それも本質からは少しかけ離れた逸話的な部分に過ぎない。
 作品が生まれるまでのプロセスについてのインタビューが終わった後半から、作品とユルスナールの関係をめぐって、この本はさらに盛りあがっていく。
 そしてその最後、インタビューはパートナーを失い、老境を迎えたたユルスナールの死生観にと迫っていく。

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 ユルスナール「他の人びとの苦痛、心配ごと、病気、私たち自身のそれ、他の人びとの死、自分の死を受け入れさえすれば、それらを生の自然な部分にすることができます。たとえば私たちのモンテーニュのように、西欧にあって道教の哲学者にもっとも似ていたかもしれない人もそう考えたはずです。その人を反神秘主義者とみなすのは浅薄な読者だけです。死、それは生の最後の形…
 その点についていえば、私の考えはユリウス・カエサルの考えと正反対です。彼はできるだけ時間をかけずに死にたいと願っていたのですから(そしてほぼそのとおりになったわけです)。私としては、意識を完全に保ったまま死にたいと考えています。病気の進行が充分に緩慢で、いわば私の死が私のなかに入り込み、全体に広がる時間を与えたいのです。」
 ガレー「なぜですか?」
 ユルスナール「生から死への移行という最後の体験をしくじらないためです。ハドリアヌスは目を見開いたまま死ぬことについて語っています。私がゼノンに彼の死を生きさせたのも、そう考えてのことです。」
 ガレー「ベルゴットの死を自分のそれと重ね合わせて描いたプルーストに通じるとも言えますね…」
 ユルスナール「彼がそういうことを試みたのは、私にもとてもよくわかります。自分自身の死をそのように利用するのは、小説家の一種のヒロイズムです。私にとって大切なのはむしろ、ある本質的体験をしくじらないことなのです。誰かからその死を奪い取るのは憎むべき行為だと考えるのは、私自身そういう本質的なことを体験したいと思っているからです。アメリカでは医療界全体が驚くほど誠実ですが、フランスでは医師たち、とくに家族がしばしば、病人につまらぬ隠し立てをして時間を無駄に過ごしています。私はそういう態度に賛成できません。逆に私は自分の死を準備する人びとを愛し、尊敬します。」(上掲書 377-8 頁)

夏の空のような空虚 如月 - 2007/02/15(Thu) 11:48 No.4534

 ユルスナールの死についての考え方、直前から続けます。

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 ガレー「そうすると自分の最期を絶えず身近に感じながら生きざるをえなくなりますね。」
 ユルスナール「たいへんけっこうなことです。自分の死のことを友情こめて考えなくてはならないのです。たとえそうすることにいくぶん本能的嫌悪を感じるとしても。動物たちがそんなことを考えないのは事実です。でもそれだってどこまで本当なのか!自分の死を予見する動物がいるのは明らかなのですから。」
 ガレー「それにしても、そういう移行を前にして、人は全く無防備ですね。」
 ユルスナール「あんまり無防備なので、もしかしたら最後にめそめそしたり恐怖に駆られたりするかもしれません。しかしきっとそれは、船酔いのように単純な肉体的反応にすぎないのです。重要な受容は、その前になされているはずです。
 それに、誰にわかるでしょう。もしかしたら、いくつかの思い出が、天使たちのように人を引き受けてくれるのかもしれません。チベットの神秘思想家たちは、死んでいく人たちは彼らの信じるものに支えられるのだと断言しています。ある人にとってはシバやブッダであり、またある人にとってはキリストやマホメットです。純粋な懐疑論者あるいは想像力を欠く人たちには、おそらくなにも見えないでしょう。なにも背負っていなかったマルブルックの四人目の士官のように、あやうく溺れそうになりながら息を吹き返したことのある友人が言っていましたが、そんなときには自分の生涯全体がふたたび見えるという民間信仰は本当だということでした。もしそうなら、ときには不愉快なこともあるでしょう。もっと選択の余地があってしかるべきです。それにしても私は何をもう一度見たいと思っているのでしょう?
 もしかしたらモン=ノワールのヒヤシンス、春のコネチカットのスミレ、南フランスの庭で父が巧みに枝に吊るしたオレンジ、バラの下で崩れかけているスイスの墓地。白樺の木立ちのなか、雪に覆われた別の墓地、場所さえわからない、さらに別の墓地、ということは結局あまり大切じゃないということだけれど。世界の始まりから続いている海の響きの聞こえるフランドルの砂丘、そしてもっとあとのヴァージニアのバリアリーフのそれ。スイス製の別にどうということもない小さなオルゴール。ピアニシモでハイドンのアリエッテを奏でるそのオルゴールを、グレースの死の一時間前、手でさわっても話しかけても、もう彼女には伝わらなくなったとき、私は枕元でそれを鳴らしたものだった(中略)。
 私はこういったイメージをばらばらに列挙するだけで、それらを象徴の域にまで高めるつもりはありません。それに、想像された顔や、歴史から取り出された顔といっしょに、生死を問わず友人たちの顔もいくつか付け加えなければならないのも確かです。
 あるいはもしかしたら、いまあげたものからなにひとつ選ばれず、三島が死の数時間前に書き終えた最後の小説で、80歳をこえた本田老人が最後に眺める青く白い大きな空虚だけなのかもしれない。炯眼な裁判官である彼は、同時に、言葉のもっとも不都合な意味で、のぞき魔でもあります。それは夏の空のように、燃え上がってものみなを焼き尽くす空虚であり、それに比べれば他はすべて、もはや亡霊の行列にすぎないような、そんな空虚です。」(上掲書378 -80頁)

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 ユルスナールには、『三島または空虚のヴィジョン』という著作がある(邦訳=澁澤龍彦、ユルスナール・セレクション5所収)。

自分自身の灯火 如月 - 2007/02/18(Sun) 12:24 No.4536

 直前に引用・紹介した発言の続きです。インタビューは終結に近づきます。

   *    *    *

 ガレー「日本の小説からそういう引用をされたのは、偶然ではないかもしれませんね。仏教はあなたに大きな影響を及ぼしているように思えるのですが。」
 ユルスナール「私にはいくつかの祖国があるように、いくつかの宗教があります。ですから、ある意味で私はそのどれにも属していないのかもしれません。たしかに私は、正義に飢えている人びとの願いは満たされるであろう(それがあの世においてであるのは確かです。私たちの現実の世界では、そうは言えないのですから)、心の清きものは神を見るであろうと言った人、そしてその報いに十字架にかけられた人を否定しようとは思っていません(「おお、おお、私はときおりそのことを考えると震えてしまう」ーーもっとも美しい黒人霊歌はそう歌っています)。といって私には道教の叡智をあきらめるつもりはありません。その叡智は、あるときは明るく、あるときは暗い色をおびるとはいえ、つねに澄みきった水のようで、その奥から事物の奥の奥が見えてくるのです。タントラ教と、精神と肉体の力を目覚めさせる、ほとんど生理的ともいえるその方法に、そしてまた光り輝く刃と言ってもいい禅に、私は感謝しています。それらは私自身について数々の貴重なことを教えてくれましたし、それらの研究を企て、実行し、続行することもできたからです。とりわけ私は仏教の知識に深い愛着をおぼえます。さまざまな宗派を通してそれを学びましたが、それらの宗派は、キリスト教のもろもろの教派と同じく、相互に矛盾するというよりお互いに補完するものと思われます。仏教の説く、生あるものすべてへの憐憫は、しばしば狭きにすぎる私たちの慈悲の概念を豊かにしてくれるだけではなく、また、ソクラテス以前の哲学者たちと同じく、移ろい行くものである人間を移ろい行く世界に置きなおしてくれるだけではなく、ソクラテスと同様に、野心的な形而上学の空論に陥らぬよう私たちに警告し(とはいえ、それに身を委ねながらであるのは言うまでもありませんが)、とりわけ私たち自身をよりよく知るように促してもくれるからです。さらにはまた、仏教の説く慈悲は、もっとも大胆なものと信じられている近代哲学に劣らず、自分自身にしか頼らないことの必要性を強調し、「あなた自身の灯火であれ…」と述べています。」(上掲書380-2頁)
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最近の中国の軍事力増強

最近の中国の軍事力増強は、とどまるところを知らない。英国のシンクタンクの報告では、軍事費が、日本の約3倍の、14兆7600億円にも、のぼるとのこと。

中国の軍事費、18%増、1220億ドル(14兆7600億円)、英シンクタンク(下記、URL参照のこと)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2007/02/01/20070201000033.html

また、近いうちに、核弾道ミサイルを搭載できる最新鋭の原子力潜水艦を、6隻も実戦配備し、その他に、アメリカに劣らぬ海軍力を保有するために、通常型空母と超大型の原子力空母をも、何隻か建造するのだそうだ。

中国、最新鋭、原子力潜水艦6隻、来年実戦配備(下記、URL参照のこと)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2007/03/05/20070305000013.html

中国、超大型、原子力空母も建造(下記、URL参照のこと)
http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070328000036

着々と、軍事力増強を、実現する中国。第2次世界大戦後に、チベットを侵略し、チベット人の大虐殺を繰り広げてきた中国軍が、莫大な資金を使い、軍事力増強に邁進する姿は、不気味である。

これは、間違いなく、アジアと世界の平和に対する、重大な脅威である。
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人を食った話

たしか、つい最近、ポール・マッカートニーは、中国の毛皮商の残虐な動物の殺し方にショックを受け、「あの国(中国)には行かない」と宣言したそうだが、そのポール・マッカートニーが、中国のレストランに人肉メニューのあることを知ったら…。

以下は、黄文雄=著、『ありのままの中国』、日本文芸社、平成8年、90pからの抜粋。

 香港、台湾などの中国語新聞によると、最近の中国では、人口中絶された嬰児を食べるのが大流行している。嬰児の胎盤をゆっくり蒲焼きにして、健康食品や強壮剤だけでなく喘息、その他の病気治療の特効薬として食用されているという。
 嬰児の価格相場は一定していない。公立病院の販売価格は一〇元(約一三〇円)のところもあるが、私立病院では三〇〇米ドル(約三万円)で売られているところもある。
 北京発ロイター電が伝えたところによると、四川省のある観光ホテルには、「清蒸人類胎盤(蒸し嬰児胎盤)」というグルメ・メニューがあり、「上等人肉と書かれて一皿五〇元(約六五〇円)」で売られていると報道された。
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