エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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旧約聖書 創世記 天地創造から(自身のサイトから転載、加筆あり)

 旧約聖書、創世記、天地の創造から(下記引用は、『聖書』、日本聖書協会、新共同訳、1987年、1988年より、抜粋した)。

 神(かみ)は言(い)われた。「我々(われわれ)にかたどり、我々(われわれ)に似(に)せて、人(ひと)を造(つく)ろう。…」(第1章26節、旧-2pより)
 主(しゅ)なる神(かみ)は言(い)われた。「人(ひと)は、我々(われわれ)の一人(ひとり)のように、善悪(ぜんあく)を知(し)る者(もの)となった。…」(第3章22節、旧-5pより)

 旧約聖書、創世記、創造から(下記引用は、『旧約聖書 創世記』、関根正雄=訳、岩波文庫、2005年より、抜粋した)。

 そこで神が言われた、「われわれは人をわれわれの像(かたち)の通り、われわれに似るように造ろう。…」(第1章26節、11pより)
 さてヤハウェ神(かみ)が言われるのに、「御覧、人はわれわれの一人と同じように善も悪も知るようになった。…」(第3章22節、18pより)

 上記のように、「我々、われわれ」と有りますから、一神教の聖典である『聖書』において、神は当然、複数、存在することになります。ちなみに、ヨーロッパでは、ヴォルテールが、240年以上前に、「「創世記」第一節は、神ではなく神々が天と地をつくったと述べている…」(『ヴォルテール』、中央公論新社、2005年、432p)と、指摘しています。
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哲学・宗教 | コメント:0 | トラックバック:1 |

ユニテリアン・ユニヴァーサリズム(Unitarian Universalism)

「今日では、UUの多くは自分がキリスト教徒ではないと考えている」、また、「キリスト教徒を自認する者についても、どのような教義を信じるかは各信徒の自由に任せられているが、多くの場合、三位一体についてはこれをドグマであるとして拒否されている。」

上記は、「ユニテリアン主義 - Wikipedia」からの、抜粋(下記、URL参照のこと)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

キリスト教から派生したものでも、ここまで来ると、従来のキリスト教と同様のものだと云うのは、難しいように思える。
哲学・宗教 | コメント:0 | トラックバック:0 |

原子炉等の完全地下化

 最近、ある原子力発電所における臨界事故の隠蔽が明らかになった。その他にも臨界事故だったのではないかという事案が取沙汰されている。以前、他の掲示板などにも投稿したことがあるのだが、原子力発電所の原子炉等は、完全に地下化するべきだと考えている。

 エネルギー資源の乏しい我が国にとって、原子力発電所を無くすわけにはいかないが、だからと言って、安全性を無視することもできない。では、どうするべきかを考えた時、原子力発電所の原子炉等の完全地下化は、有力な案だと思う。

 地表から何十メートルかの完全な地下に原子炉等があれば、万が一の大きな事故でも、放射性物質による地表への汚染は、最小限に食い止められるし、また、地表からのテロ攻撃に対しても、防御は堅固であると考えるからである。

 その他に、ホンダやトヨタなどで製造しているヒューマノイド(人型)・ロボットを使用して、原子力発電所内における危険な仕事を、遠隔操作で行えるようになれば、原子力発電所内での死亡事故等も、可能な限り、少なくできるのではないかとも考えている。
科学・技術 | コメント:0 | トラックバック:0 |

日本の個人主義の起源(加筆あり)

 日本の個人主義の起源を考える時、よく明治以降、西洋からの影響と考えられがちであるが、そうではなく、仏教からの影響の方が、はるかに強いのではないかと考えている。

 たとえば、釈尊自身の言説や行動を古い仏典で読むと、それは、まさに個人主義者のものとしか考えられない。阿含経典など、個人の自由な意志が、可能な限り尊重されているのは、一読すれば分かることである。そして日本においては、鎌倉時代の、道元や、日蓮、そして法然などの僧侶は、個人主義の権化のようにも思える。

 近代における、個人の自由を過度に抑圧する集団主義(あるいは全体主義)こそ、西洋で生まれたものであろう。たとえば、キリスト教の異端審問や、魔女狩り魔女裁判。また、異端者や異分子への苛酷な仕打ちは、共産主義や国家社会主義ほど、顕著なのは明らかである。

 日本の場合、江戸時代においても、良寛などは、個人主義者で、自由人に思える。ちなみに、江戸時代の和算家(数学者)の関孝和は、自ら、自由亭と号したそうである。また、芭蕉にしても、北斎、広重にしても、まさに個人主義者で、かつ自由人であったろう。その他に、若冲、梅園、仁斎などなど…。これらの人々が、集団主義者だったとは、到底、言えまい。

 さらに、江戸時代を通して見た場合の武士個人にしても、不正を働くような、不名誉なことで名を汚すのは、恥以外の何ものでもなかったと考える。日本は、恥の文化だとも言われるが、恥というのは、個人の感情に基づくものであろう。

 そして、脱藩までしている、高杉晋作や、坂本龍馬などは、共に、既存の組織に囚(とら)われない、まさに個人主義者であり、かつ自由人である。このような、個人主義的な自由人が、祖国の為に尽力したことは、日本の精神文化の深みを感じさせる。

  おもしろきこともなき世をおもしろく (晋作) すみなすものは心なりけり (望東尼)

  いま一度、日本を洗濯致し候事、神願にて候 (龍馬)

 おわりに、有名な、都々逸(どどいつ)を、ひとつ。ここに、濃厚な自由の香りと、強烈な個人主義を、誰しもが、感じるのではないだろうか。しかも、時は、江戸時代末期である。

  三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい (高杉晋作)
歴史・社会 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ゲーデルとゲンツェン

 「ゲーデルは、1931年に〈自然数論以上の数学的内容をもつ形式的体系がもし無矛盾ならば、その体系の無矛盾性の証明は体系内で形式化可能な方法によっては証明できない〉(ゲーデルの定理)ことを証明した。当時、ヒルベルトのいう有限の立場での超数学の実行とは、初等数論で用いられる有限的方法と同様に疑いの余地のない確かな論法で数学に矛盾のないことを証明することと解されていたので、ゲーデルによるこの結果は人間の理性一般における限界を示したものとして衝撃を与えた。しかし、ゲーデルの定理はヒルベルトの計画に重大な制限を与えたことにはなるが、その計画自体の挫折を意味するものではない。その後ヒルベルト自身も述べているように、それは有限の立場を従前の初等的にではなく、より鋭い意味で用いることが迫られることを意味している。
 実際に、36年にゲンツェン G. Gentzen は有限の立場を一段と深化発展させることにより算術(純粋数論)の無矛盾性を達成するという画期的な仕事を行った。
 ゲンツェンは1934年の学位論文《論理的推論の研究》において、数学で通常行われる推論をそのまま反映するような自然な論理計算の形式化を試み、それに技術的な推敲(すいこう)を行って1階の述語論理のまったく新しい形式の体系 LK(ゲンツェン・タイプの体系という)を導入し、論理についてのまことに美しい法則〈LK で証明できる論理式は三段論法をまったく用いないで証明できる、すなわち、回り道のない証明を与えることができる〉(ゲンツェンの基本定理)を示したが、上述の36年の論文《純粋数論の無矛盾性》で、純粋数論をLK で形式化し、その無矛盾性を順序数 ε0までの超限帰納法によって証明したのである。」(『世界大百科事典』、平凡社より引用)

 ゲーデルは有名ですが、ゲンツェンは、あまり知られていないように思います。ちなみに、上記のゲーデルの定理を、循環論法ではないかと言った研究者も存在するそうです。「自然数論以上の数学的内容をもつ形式的体系が、もし無矛盾ならば、その体系の無矛盾性の証明は、体系内で形式化可能な方法によっては、証明できない」(ゲーデルの定理)。循環論法だと言われるのは、下線部に注意すると分かります。これは、まさに循環論法のように思えます(論点先取の虚偽:証明されるべきことと同様のことを証明なしに前提とすること。循環論法の一種)。
論理・数学 | コメント:0 | トラックバック:0 |

最近の中国の軍事力増強

最近の中国の軍事力増強は、とどまるところを知らない。英国のシンクタンクの報告では、軍事費が、日本の約3倍の、14兆7600億円にも、のぼるとのこと。

中国の軍事費、18%増、1220億ドル(14兆7600億円)、英シンクタンク(下記、URL参照のこと)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2007/02/01/20070201000033.html

また、近いうちに、核弾道ミサイルを搭載できる最新鋭の原子力潜水艦を、6隻も実戦配備し、その他に、アメリカに劣らぬ海軍力を保有するために、通常型空母と超大型の原子力空母をも、何隻か建造するのだそうだ。

中国、最新鋭、原子力潜水艦6隻、来年実戦配備(下記、URL参照のこと)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2007/03/05/20070305000013.html

中国、超大型、原子力空母も建造(下記、URL参照のこと)
http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070328000036

着々と、軍事力増強を、実現する中国。第2次世界大戦後に、チベットを侵略し、チベット人の大虐殺を繰り広げてきた中国軍が、莫大な資金を使い、軍事力増強に邁進する姿は、不気味である。

これは、間違いなく、アジアと世界の平和に対する、重大な脅威である。
その他 | コメント:0 | トラックバック:0 |

『闇の奥』の奥

この書は、およそ百年前の、アフリカ(特にコンゴ)を舞台に行われた、欧米の人種差別の凄まじさ、さらには、善を偽装する邪(よこしま)さなどを、顕(あらわ)にしたものです。藤永茂=著、『闇の奥』の奥、三交社、2006年の、本文から抜粋。

 …コンゴの先住民社会は疲弊し、荒廃し、その人口は激減していった。ブリタニカ百科事典(一九九四年版)には「二〇〇〇万人か三〇〇〇万人から八〇〇万人に減少してしまったと言われている」とある。正確な数字の決定は望めまい。しかし、一八八五年から約二〇年の間にコンゴが数百万人の規模の人口減を経験したのは確かであると考えられる。
 アメリカの奴隷〝開放〟宣言から半世紀後、一九世紀の末から二〇世紀の初頭にかけて、人類史上最大級の大量虐殺が生起したという事実には全く否定の余地はない。
 しかし、この驚くべき大量虐殺をアフリカ人以外の人間のほとんどが知らないという事実こそ、私には、もっとも異様なことに思われる。この惨劇からわずか四〇年後に生起したユダヤ人大虐殺ならば世界の誰もが知っている。ユダヤ人の受難に比べて、コンゴ人の受難がほぼ完全に忘却の淵に沈んでしまった理由を、今こそ私たちは問わなければならない。(81p~82p)

 若い頃、藤永氏の著書、『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)を読み、衝撃を受けたことがあります。この他に、ラス・カサス=著、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)や、池本幸三&布留川正博&下山晃=著、『近代世界と奴隷制』(人文書院)、それから、ポール・ゴードン・ローレン=著、『国家と人種偏見』(TBSブリタニカ)や、ハワード・ジン=著、『民衆のアメリカ史』(TBSブリタニカ)などは、欧米の人種差別と侵略、そして虐殺の歴史を知るためには必読の書です。ちなみに、藤永氏自身のブログもあります。よかったら、どうぞ(下記、URL)。

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/

追記:参考までに紹介しますが、ゲーテは、このようなことを述べています。『ゲーテとの対話(中)』、エッカーマン=著、山下肇=訳、1984年、岩波文庫、137p~138pより、抜粋。

 「けれども、ドイツ人が哲学上の問題の解決に悩みぬいている間に、イギリス人の方は、その偉大な実践的知性を発揮して、われわれを嘲笑しながら世界を征服している。奴隷売買に反対するイギリス人の長広舌はみんなも知っている。そしてこういう姿勢の根底にはどんなに人道的な原理があることか、といってわれわれをたぶらかそうとしているが、今や、その真の動機が現実的な目的にあるということはあきらかだよ。周知のとおり、こういう目的なくしては、イギリス人は決して何もしないのだから、われわれの方もこれを心得ておくべきだったのさ。アフリカの西海岸のその広大な土地では、みずから黒人を使っているのだから、そこから黒人を輸出するのは、自分たちの利益に反するというわけさ。アメリカには、彼ら自身が大きな黒人の植民地をつくっていて、それが大へん生産的で毎年黒人の数がものすごくふえている。この黒人で北アメリカの需要にうまく応じているのだ。こういったやり方で、きわめて儲けの多い商売をやっているので、外地からの黒人の輸入は、商業的な利益をひどく妨げることになるのだ。そのため、非人道的な商売に反対する説教をぶっているのだが、じつは、ちゃんとこうした目的があってやっているのだ。…」
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「財政問題ノート」(私自身の他のサイトから転載、修正あり)

 旧ソ連の、国家財政が破綻した時、最高7000%のハイパーインフレになったと何かで読んだことがある。実際、数千%のハイパーインフレが何年間か続いたのは、確かであろう。

 日本も財政破綻し、そうなる可能性は皆無ではないが、日本の場合、当時の旧ソ連の場合とは条件の違いがある(実は、今の日本の方が国内総生産に占める国の債務の割合は多くなっているとも聞いているが…)。

 基本的な違いは、旧ソ連の場合は、民間企業部門が存在せず、政府会計が全てであったということだと考えている(共産党による独占の故に…)。それと比較して、今の日本の場合は、政府会計の他に民間部門が別にあり、その民間の優良企業群が、世界市場への輸出等で大きな経常収支の黒字を生み出している。

 「政府紙幣」による赤字国債の利払いや償還は、究極的な利払いの先送りとも言えるが、国債の、円:ドル、円:ユーロ相場(国際的な為替市場)への転換だとも考えられる。下記、URL参照のこと…。

http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf

 一千兆円に近い国の債務を、一気にではなく、国債の利払いと償還を、毎年数十兆円づつ「政府紙幣」で行えば、円への信認の低下(経常収支の黒字があるうち)は、それほど大きなものではないのではないだろうか? 

 そうだとすれば、円への信認の低下によるハイパーインフレは、旧ソ連の場合より可能性は低いものと考えられるのだが…。また、円への多少の信認の低下は、対外的に、円安となり、輸出企業にとっては有利になるものとも考える。ちなみに、たしか旧大蔵省が、年間30兆円ぐらいの円売りドル買い介入を為替市場で行ったこともあったと記憶している。

 そして、その他に、円への信認の低下を必要以上に(ハイパーインフレを)来さないように、公務員の給与等を削減して、政府および公的部門の無駄を極力減らし、予算を効果的かつ効率的に使うようにすれば、一千兆円に近い国の債務も、少しづつではあるが減らして行けるものと考えている。いずれにしろ、もはや国および公的部門の債務は、これ以上増やすわけには行かない。

 追記:ちなみに、その「政府紙幣」の顔は、聖徳太子以外には考えられない。額面は五万円ぐらいか…。
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