エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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創造性について

 すでに知られていることを憶える能力(たとえば教科書に書かれていることを憶えるような能力)の高さというのは、分かりやすく言うと、知識を仕入れる能力の高さでしかない。しかも、それは、憶えたとしても受け売りの知識でしかなく、自らが生み出したものではない。

 社会的に重要度が遥かに高いのは、自らが生み出すという、創造的な能力なのである。分かりやすく言うと、教科書に書かれていない新たな知見等を、相応の根拠を持って考え出せること、それこそが、創造的な能力である。また芸術の場合は、既存のものとは異なり、かつ、人々に大きな感銘を与えるような新たなものを生み出せる能力であろう。ちなみに、受け売りの知識しかないというのは、猿真似しかできないようなものである。
 
 数学者であり、物理学者であり、天文学者でもあり、最後の万能の天才とも言われた、アンリ・ポアンカレは、大学の入試で幾つかの教科のテストのうち、一つの教科が全くの〝0点〟であったそうである。本来、不合格なのだが、そこの学長は偉い人で、ポアンカレの才能を認め、特別に入学を許している。その後、ポアンカレは、数学および物理学において偉大な業績を残したのだが、一つ例を上げると、三体問題は積分を求めるという方法では解きえないことを証明した論文を発表している。これは、その後の複雑系に関する学問の出発点をなす論文だとも言われている。いまだ誰も証明していないことを証明した優れた学問的業績であることは間違いない。そのような業績を残したポアンカレであるが、実は、計算が苦手だったそうである。実際、ポアンカレ自身が自著で、自分は因数分解ができないと書き記している(数学者なのに…)。

 最後の万能の天才とまで言われたアンリ・ポアンカレは、実は、非常に偏った能力の持ち主であったことが、上記から理解できると思う。おそらく、偏っていたからこそ、特定の分野で偉大な業績を生み出すことができたのだと考える方が適切であろう。その他にも、天才と認められるヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、中学校中退であり、その能力は、絵画という特定の分野においてこそ、最大限に発揮された。そして、たしかモーツァルトは、正規の教育を小学校までしか受けたことがないと聞いたこともあるが、しかし音楽の分野で偉大な業績を残したことは間違いない。

 たとえば、普通の人間の才能100と努力100を、全体と考えた場合、普通の人は、10の方向(全方位)に、それぞれ10ずつ振り分けて才能を発揮し10ずつ努力する時に(1方向10の才能と10の努力の積を、その方向分野の能力と仮に考える)、ある人は、ある1方向においてのみ、集中して100の才能と100の努力を傾けたとすると(1方向で100の才能と100の努力の積を、その方向分野の能力と仮に考える)、双方を比較した場合、その方向においては、普通の人間の100倍の能力を発揮できるものとも考えられる(実は、この場合、元になる才能と努力の数値を見ると、どちらも同じである。ただ、分散させて能力を発揮したか、ある方向に集中して、能力を発揮したか、どうかの違いでしかない)。しかも、その1方向においてのみ、10年間あるいは20年間、それへの努力を傾注した場合に、ゴッホなどのような偉大な業績が生み出せるものと考える。

 では、如何なる分野においても何の努力もせず、10年間あるいは20年間、遊び呆けた場合は、どうか。それは、単なる怠け者であろう。
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