エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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ハーバード白熱教室

ハーバード白熱教室
http://www.nhk.or.jp/harvard/lecture/100523.html

 「ジョン・ロールズは、努力に報いる分配システムである能力主義は、不公平であると主張する。なぜなら、生まれながらに才能があっても、努力の成果として才能を獲得したわけではないからだ。それは生まれてきた順番のような恣意的な要素によるところが大きいため、自分の功績だと主張できないと言うのだ。」(上記サイトより引用)

 ほんとうに、そうであろうか?

 「なぜなら、生まれながらに才能があっても、努力の成果として才能を獲得したわけではないからだ。それは生まれてきた順番のような恣意的な要素によるところが大きいため、自分の功績だと主張できないと言うのだ。」、生まれつき、偶然、具わった才能は、努力の結果として得られたものではないから、その人のものではない。要するに、偶然の所有物は、その人のものではないという意味合いになるわけだが、ほんとうに、そうであろうか。

 たとえば、当たるか、どうか分からない、宝くじを給料の一部で、購入し、偶然、一等の三億円が当たったとしよう、この場合、その一等の当たりくじが偶然の所有物だからと言って、その人のものではないというのは、詭弁以外の何ものでもないのは明白であろう。さらに言えば、生まれつきのものが、その人のものでなければ、一体、誰のものなのか。ジョン・ロールズに生まれつき具わったジョン・ロールズの脳味噌は、ジョン・ロールズのものではないのか?

 また、生まれつき才能があっても、努力をしない人もいる。その場合、才能はあるが、努力を怠ったため、何の業績もないということも、ありうる。この場合、何の業績もないというのは、人類・社会に対する貢献度、及び、公共・共同体に対する貢献度が、著(いちじる)しく低いか、または、何も、貢献していないことを意味する。

 それから、遺伝的影響も或る程度ある才能という意味において、たとえば知能指数が、人並み以上の130以上あるのだが、努力を怠り遊び呆けたため、何の業績もないどころか、遊ぶ金欲しさに犯罪に手を染めてしまう輩(やから)も中には存在する。

 基本的に、人の善し悪しを判断する材料は、悪事を行っていないか、どうかであり、次に、業績があるか、ないかである。そして業績が、ある場合は、どの程度の業績なのかを、世界的視野に立って、比較する必要がある(その為にも、ある程度の教養は必要となる)。

 相応の教養や見識があれば、上記で引用したような言説の詭弁も、即座に見抜けるようになる。「努力に報いる分配システムである能力主義は、不公平であると主張する。」、では逆に、努力に報いない分配システムは、公平であると言えるのか、と問えば、如何に馬鹿馬鹿しい主張であるかが分かるはずである。業績を生み出した者の努力に報いず、遊び呆けた業績のない者と、業績のある努力した者との結果を平等にするならば、それこそ不公平な悪平等社会になってしまう。
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哲学・宗教 | コメント:0 | トラックバック:0 |
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