エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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一流の文学作品、傑作について

私の趣味で、私が一流だと考える、文学作品の傑作について、少しく、述べたいと思います。

まず、何を以って、一流だと考えるかについてですが、それは、その作品に、心を打つ、圧倒的なものが、有るか、無いか、それに尽きます。読んでみて、圧倒的なものが、有れば、傑作ですし、無ければ、凡作ないし、駄作の類(たぐい)に為ります。

たとえば、傑作と言えるものを上げると、宮沢賢治の作品群、ゲーテの『ファウスト』、ドストエフスキーの『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』、紫式部の『源氏物語』などなど…。

それから、文学作品とは呼べないかもしれませんが、新渡戸稲造の『武士道』や『ゴッホの手紙』など、これらも、世界的に見て、その、文学的内容において、まさしく、一流だと考えています。

また、人それぞれ、好みは異なりますが、私の場合、思わせ振りな、終わり方の作品は、あまり、好きに為れません。それは結局、その作品で作家が、何ごとかを、言い切れないために、思わせ振りな、技巧・テクニックに走っているように、受け取れるからです。

要するに、中身の無い作品でも、中身が有るかのように思わせたい場合などに、思わせ振りな、技巧・テクニックが、使われる場合も有るのです。

そして作家は、作品、創作時点において、自らの全てを、その作品に込めるべきだとも、考えています。

未完である、『カラマーゾフの兄弟』のように、結論が出ていなくとも、その時点における作家の全てが込められているならば、作家が、作中人物に言い切らせた、真摯な問い、そのものに、心を打たれることも有るのです。

おわりに、作家の全てが込められ、言い切った好例として、ゲーテの『ファウスト』の一節を、引用したいと思います(ゲーテ、『ファウスト』、高橋義孝=訳、新潮文庫より)。

  そうだ、己(おれ)は、こういう精神に、この身を捧げているのだ。
  それは、叡智(えいち)の、最高の結論だが、
  「日々に、自由と生活とを、闘(たたか)い取らねばならぬ者こそ、
  自由と生活とを、享(う)くるに値する」。
  そして、この土地では、そんな風に、危険に取り囲まれて、
  子供も大人も老人も、まめやかな歳月を送り迎えるのだ。
  己(おれ)は、そういう人の群れを見たい。
  己(おれ)は、自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。
  そういう瞬間に向って、己(おれ)は、呼びかけたい。
  「とまれ、お前は、いかにも美しい」と。
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テレビのニュースで全く報道されない。

「枝野氏が革マル幹部と覚書」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100717/plc1007171052008-n1.htm

 異常なほどの報道統制だと思う。革マル派と中核派の互いのテロルでは何人もの死者が出ており、また、巻き添えにより一般市民にも犠牲者が何人も出ている。そのような極左テロリストの集団と、公党(しかも政権与党)の幹事長が覚書を交わすなど大問題だが、信じられないほど、テレビその他でも報道されない(日本には、旧ソ連に有ったような、鉄のカーテンが存在するのか…)。

参考:『中核VS革マル(上・下)』、立花隆=著、講談社文庫。
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