エッセー哲学的 / 佐々木 寛


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『ヴォルテール 哲学書簡 哲学辞典』

ベーコン(1561-1626)について、ヴォルテール(1694-1778)が、彼を、高く評価している部分が有る。『ヴォルテール 哲学書簡 哲学辞典』、中公クラシックス、86pより、引用。

「…彼らの言う「本質」とか「真空への恐怖」とか「実体的形相」とか、無知であるためにありがたがってしまっただけでなく、宗教とのばかげた結びつきが神聖なものであるかのようにしてしまったわけのわからないさまざまの言葉によって、人間の理性をだめにし続けないようにと、彼は自分の手に及ぶあらゆることを行った。」(ヴォルテール)

いわゆる、キリスト教神学に対する、批判である。ちなみに、ヨーロッパの18世紀を、ヴォルテールの世紀とも言うのだそうだが、それだけのことは有ると思う。さらに、『ヴォルテール 哲学書簡 哲学辞典』、中公クラシックス、83pから、引用。

「そして、どの世紀にもざらにいるあの政治家や征服者のたぐいは、普通は名の通った悪人でしかないのだ。まさにわれわれが尊敬の念を持たなければならないのは、暴力によって奴隷をつくる連中ではなく、真理の力で人びとの心を支配する人物にたいしてなのであり、また世界を醜くゆがめる者ではなく、世界をよく知る者にたいしてなのである。」(ヴォルテール)

追記:ベーコンによる学問の革新が、その後のイギリスにおける産業革命の基礎となる非常に重要なものだと、私は考えているのだが、ヴォルテールも同様に、その学問の革新の重要性を認識しているように思う。
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