エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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「知財立国」つづき

前回は皮肉なことも言ったが、ようやく日本政府が立てた、「知財立国」という戦略は、間違いではない(小泉首相の発案だとも聞いている)。問題は、その戦略を実現できるか、ということなのである。いままでは、自国民の独創的な業績を、全く評価できなかった事例が、いくつもある。「知財立国」という戦略を立てながら、自国民の独創的な業績すら、他国の企業などに、その権利を保有されてしまうようでは、お話にならない。

同じ誤りを繰り返さないようにする為には、どうすれば良いのか。他国の企業および研究機関等より、少しでも早く、自国さらには、できれば外国の独創的な業績をも、先に見い出せるようでなければならない(そして自国のものとするべきなのである)。また、その為にも、独創的な仕事には、大きな価値があるということを、日本社会に共通認識として普及させ、そのような仕事を尊重する必要がある。さらには独創的な仕事を評価できる、見る目を持った人材を育成する必要もある。

たとえば、独創的な仕事を評価するという意味では、あれほどニュースになった中村修二氏の高輝度青色発光ダイオードの発明に対して、当初、お年玉程度の報奨金しか払われなかったというのは、その企業経営者に全く国益という考えが無かったからだと思われる。

国益という観点から見た場合、数十年に一度と言われる発明や開発をしても、お年玉程度の評価しかないのなら、これからの日本の若い優秀な技術者や研究者は、そのような日本企業に勤めたいとは思わなくなり、すすんで外国企業や外国の研究機関を選ぶようになってしまうのは当然であろう。また、お年玉程度なら、開発や発明の努力をするだけ損であるという風潮が生まれ、日本の将来の、国益を損なうことも確かであろう。この程度のことは、国益という観点さえあれば、誰にでも理解できることである。

週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]なぜノーベル賞の前に評価しないのか?
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