エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

モーツァルト生誕250周年に、ちなんで

以下は、井上和雄=著、『ベートーヴェン 闘いの軌跡』、音楽之友社、昭和63年、34p~36pからの抜粋引用です。

 たとえばベートーヴェンの少年時代の憧れの的は何といってもモーツァルトだったように思える。ベートーヴェンがハイドンに師事すべくボンを旅立ったとき、すでに友人の一人になっていたワルトシュタイン伯が、次のような文をベートーヴェンに贈っているからである。

『親愛なるベートーヴェン
 今日ウィーンへ旅立つ君は、長い間心に抱き続けた夢をまさに果さんとしているのです。モーツァルトのさ迷える守護霊は、彼が逝ってしまった事を未だに嘆き悲しんでいます。かの守護霊は、汲めども尽きぬハイドンに避難所を見出しても、己が宿を見出せず、どこか永住の地を探し求めているのです。しっかり励んで下さい。さすればモーツァルトの守護霊は、ハイドンの手から君のもとにやって来るでしょう。
      君の変わらぬ友 ワルトシュタイン
                 一七九二年十月二十六日ボンにて』

 多感な十代後半を共にすごしたワルトシュタインのこの文章は、彼等がモーツァルトを最高の音楽家と考えていたことを示唆している。実際次にみる第三番のニ長調の第一楽章などベートーヴェンが文字通り天才的な感受性でもってモーツァルトを受けとめていたことを示している。
 そしてこれも有名な話だが、ベートーヴェン自身、モーツァルトに師事しようとして、十六歳の春に実際にモーツァルトに会っている。彼がボンの宮廷第二オルガニストとして仕えていたマキシミリアン・フランツ侯が一七八七年、ベートーヴェンをモーツァルトのもとに派遣したのである。ベートーヴェンも十六歳の少年であれば、心をたかぶらせてモーツァルトの前に出たにちがいない。しかもそのときルートヴィヒ少年は、モーツァルトの与えた半音階のテーマをもとに見事な即興演奏をして、「この男に注意したまえ、いつか世間でさらに評判になるだろう」というモーツァルトの言葉を得たのである。

上記、引用のような、「フィガロの結婚」成功後の31歳のモーツァルトと、傑作を生み出す前の16歳の少年ベートーヴェンとの、劇的な出会い。才能というものは、時に、このようにして触発されるものなのでしょう。ちなみに、ベートーヴェンの書斎には、生涯、モーツァルトの肖像画が飾られていたとか…。
スポンサーサイト

音楽・美術 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<紹介 | HOME | 耐震偽装建築の再発防止>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。