エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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七三一部隊の裁判について

 以下は、七三一部隊の裁判について、セルゲイ・イリイッチ・クズネツォフ=著、『シベリアの日本人捕虜たち(ロシア側から見た「ラーゲリ」の虚と実)』、岡田安彦=訳、集英社、1997年、215p-217pからの抜粋です。

 ●ハバロフスク法廷
 一九四九年一二月二五日から三〇日まで(引用者注・わずか6日間)、ハバロフスクでは細菌兵器の製造および使用で告発された二〇名のもと日本軍人の事件について、東京裁判(引用者注・1946年5月-1948年11月)とは別個に法廷が開かれた。もともとこれは沿海地方軍管区軍法会議によって公開裁判として開かれる予定だった。そしてその法廷には予期しないことはおこらないはずであった。なぜなら裁判はソ連領域で開かれるものであり、そのうえ法廷の地として、国の中心から遠く離れたハバロフスクが選ばれたのは偶然のことではない。その被疑者や証人たちは、ソ連軍に捕らえられた関東軍の軍人だった。法廷の経過についてソ連出版界への発表、公判廷への外国人の立入りは、きびしく制限された。簡単にいうなら、法廷の経過についてのすべてはソ連政府が希望した報道だけを世界が知るように、制限されたのだ。
 …中略…
 ハバロフスクでの審理は一九四九年一二月の軍事法廷で、四三年四月一九日付けソ連最高会議幹部会布告第一条により一二名の被疑者--細菌兵器の準備と使用の参加者--に有罪が宣告された。三五年のラーゲリ収容は関東軍司令官山田乙三大将、関東軍軍医部長梶塚隆二中将、関東軍獣医部長高橋隆篤中将、関東軍七三一部隊製造部長川島清少将、…省略。
 一方では、この審理が公正なものであったかどうかの疑いがおこった。すなわち、ハバロフスクでの裁判は国際法廷ではなかった。裁判には他国から弁護人や検事の代表が参加していなかった。そして被疑者はソ連の市民ではなかったし、ソ連の領土で犯罪をおかしたものでもなかった。 …中略… こうしてみると、自らが裁く役割をつとめたソ連の行動は、国際法の見地からしてまったく完全なものではなかった、といえるだろう。
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