エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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近・現代の日中関係

近・現代の日本と中国の関係を考えるとき、簡単にでも、清国(1616~1912)のことから史実を明確にしておく必要がある。まず清国というのは、満洲を領土とした女真族(満洲人・満洲民族)が、万里の長城以南の中国(中国人・漢民族の歴史的領土)をも、征服して建てた王朝(王国)なのである。要するに、中国(漢民族)の歴史的領土とは、万里の長城より南側であり、北側の満洲および蒙古地域を、中国人・漢民族が歴史的に領土としたことなど、無いのである。

その後、1900年代の初めには、ロシア軍が満洲地域を侵略し、ほぼ占領してしまう。清国が、ロシアの南下侵略を防ぐことができないのに、日本は大きな危機感を抱くことになる。そして、日露戦争(1904~05)に至るのである。この戦争で日本が勝利し、東アジア地域におけるロシアの南下侵略を、一応は、抑えることに成功する。

1912年に清国は亡ぶのだが、辛亥革命により成立した中華民国は、実質的に中国を統治できず、幾つかの政府が生まれ、無政府状態となるのである。このあたりのことは、R・F・ジョンストン=著、『完訳紫禁城の黄昏(上・下)』、祥伝社、平成17年に詳しく書かれているので参照して欲しい。また、同書では、無政府状態の中国において、清国皇帝・溥儀が、自ら、日本公使館に逃げ込むところまで、生々しく描かれていることも付け加えておきたい。

そして、日露戦争の十数年後の1917年には、ロシア革命が起こり、ソビエト社会主義共和国連邦、いわゆるソ連が樹立される。さらに1921年には、中国共産党も設立される。それ以降、モスクワ・クレムリン(ソ連政府)からの、莫大な軍事援助と資金援助が、中国共産党に行われるようになるのである。東アジア地域では、それまでのロシアの南下侵略から、ソ連の南下侵略に変わったと言っても良い。このあたりは、K・カール・カワカミ=著、『シナ大陸の真相(1931~1938)』、福井雄三=訳、展転社、平成十三年に詳述されているので、ぜひ参照して欲しい。

ちなみに、ユン・チアン&ジョン・ハリディ=著、『マオ誰も知らなかった毛沢東(上)』、土屋京子=訳、講談社、2005年の301pから引用すると、「★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」。

このような歴史的前段階があり、日本の支援のもと1932年3月1日、満洲民族の歴史的領土である満洲に、溥儀を執政とする満洲国が建国されたのである(後に溥儀は満洲国皇帝に即位)。これに対して、毛沢東を主席とする中華ソヴィエト政府(中国共産党が樹立)は、1932年4月26日に対日戦争宣言を発表し、その後、1935年8月1日にも、中国共産党はモスクワから中華ソヴィエト政府名義で、内戦停止と抗日戦を宣言したのである。また、1936年暮れの西安事件以降には、国共合作(中国国民党と中国共産党の軍事同盟)による抗日統一戦線が結成されることになる。以上のように、中国側が先に、日本に対する、戦争を宣言している史実がある。

しかも、このころより以降、中国において、軍人・民間人を問わず日本人が、無差別に〝テロ攻撃〟を受けるようになったのである。その具体的事例として、先に挙げた、『シナ大陸の真相(1931~1938)』の、124p~128pから一部を抜粋し、引用したい。

「※北 支
 …中略…
三、一九三五年八月、満洲国の国境から天津に向けて走行中の満洲国・中国国際列車が匪賊に襲撃された。調査により判明したところでは、彼らは天津の反日組織に煽動されていた。約二〇名の乗客が殺害された。
四、一九三六年一月二日、天津付近のタークーで二軒の日本人商店が中国軍正規兵によって略奪された。
五、一九三六年六月二六日、北京近くで中国軍の正規兵が、豊台日本軍守備隊に所属する日本人兵士に襲いかかり重傷を負わせた。それに対する謝罪を要求して中国軍の兵営に赴いた日本人の陸軍大尉が中国軍兵士に刀と銃剣で斬りつけられた。
六、一九三六年六月一九日、山東省防東で日本人が中国人に射殺された。
七、一九三六年七月二二日、天津の市役所所属の中国人警備兵が、天津の日本総領事館に勤務する二名の警官を領事館の前で銃撃した。一人は殺され、もう一人は重傷を負った。
八、一九三六年八月二三日、河北公共治安部隊の数名の兵士が天津の日本語学校を襲撃して略奪し、日本人の教師に暴行を加えて拉致した。
 …中略…
一一、一九三七年六月一日、中国人の暴徒の一団が天津付近の日本人経営の農場施設を襲い、一つの倉庫と三つの住居に放火し、多くの日本人従業員が負傷した。
※中 支
一、一九三五年一一月九日、日本海軍准尉の中山秀夫が上海国際租界で射殺された。この重大事件については第八章で詳しく述べる。
 …中略…
四、一九三五年一二月二六日、上海国際租界にある日本海軍の本部公館に爆弾が投げ込まれた。
 …中略…
六、一九三六年七月一〇日、世界的に有名な東京三井物産の上海支店の日本人社員が国際租界で射殺された。
七、一九三六年七月一八日、中国人の暴漢が日本人の通行人を殴打し、重傷を負わせた。日本人の女や子供に投石する事件や上海の中国人が日本人に対して行なう暴力行為は、日を追うにつれて頻繁になった。短期間にそのような事件が二〇件以上も報告されている。
 …中略…
九、一九三六年八月二四日、四川省の成都で大阪毎日及び東京日々の特派員ともう一人の日本人の新聞社特派員が一万人の中国人の暴徒(その大部分は幼い少年少女だったのであるが)に襲われ、最も残忍なやり方で殺された。他の二人の日本人が重傷を負った。中国の地方当局は暴動を抑えるための何の手段も講じなかった。南京の中央政府も同様に無関心だった。四川省当局は必死で証拠を隠滅しようとし、日本の外務省が成都に派遣した調査団を妨害した。…
一〇、一九三六年九月一九日、漢口の日本領事館の警官が中国人に射殺された。
一一、一九三六年九月二三日、日本海軍の水兵が上海の街路で射殺された。他の二人の水兵は重傷を負った。
一二、一九三六年九月二六日、湖南省湘潭にある日本の汽船会社の事務所に中国人の暴徒が放火した。一九三六年九月二十九日、長沙の日本総領事館の建物に爆弾が投げ込まれた。
一三、一九三六年一〇月、上海の中国警察による日本人の女や子供の気紛れで不法な逮捕と抑留の事件が増加。
一四、一九三六年一一月一一日、日本の汽船会社に雇われた日本人の船乗りが上海で射殺された。
一五、一九三七年二月一三日、漢口で日本人の事業家の妻が中国人に襲われた。
※南 支
一、一九三六年一月六日、汕頭で二千人の中国人の中学生が日本に対する戦争を要求しつつデモを行なった。
二、一九三六年一月二一日、汕頭の日本領事館に所属する日本人の警官が自宅から出勤途中、中国人に射殺された。
 …中略…
六、一九三六年九月三日、広東省パクホイで中野という名前の日本人薬局経営者(薬剤師)が、一九路軍の中国人兵士によって惨殺された。暴徒が薬局を急襲した時、中野の家族は夕食を食べていた。中野は街路に引きずり出され、そこで蹴られ、殴られ、そして殺された。その間、彼の中国人の妻は筆舌に尽くしがたい程の虐待を受けた。店は完全に略奪された。広東の日本領事館職員が調査のため汽船でパクホイに赴いたが、一九路軍は力ずくで彼らの上陸を妨げた。…
七、一九三七年三月、広西省当局は反日感情を煽り立てるためのただそれだけの理由で、全ての日本人を広西省から追放した。」

さらに言えば、1937年7月7日の盧溝橋事件も、最近の研究では、中国軍側からの銃撃によるものだとされている。また、盧溝橋事件発生、三週間後の7月 29日には、通州事件という中国保安隊による大虐殺事件が発生している。この事件では、多くの女性や子供を含む二百数十名にも上る日本人が、中国保安隊(秘密裏に中国共産党支部が内部に結成されていた)によって、強姦されたりした後、惨殺されている。この件については、中村粲=著、『大東亜戦争への道』、展転社、平成三年の、401p~409pに詳しく書かれているので参照して欲しい。
 
さて、このように中国側に先に戦争を宣言され、これだけの自国民を〝テロ攻撃〟により殺されたら、アメリカだとて、自国民の生命を守るために、正当なる自衛戦争を行うと思うのだが…。

【参考文献】
『クロニック世界全史』、樺山紘一&木村靖二&窪添慶文&湯川武=編集委員、講談社、1994年。
『大東亜戦争への道』、中村粲=著、展転社、平成三年。
『シナ大陸の真相(1931~1938)』、K・カール・カワカミ=著、福井雄三=訳、展転社、平成十三年。
『共同研究 パル判決書(上・下)』、東京裁判研究会=編、講談社学術文庫、1992、1993年。
『完訳 紫禁城の黄昏(上・下)』、R・F・ジョンストン=著、渡部昇一=監修、中山理=訳、祥伝社、平成17年。
『マオ 誰も知らなかった毛沢東(上・下)』、ユン・チアン&ジョン・ハリディ=著、土屋京子=訳、講談社、2005年。

〔注〕 上記は、下記サイト(URL)から転載したもの。
「随 想 録」
http://www1.odn.ne.jp/~cak23720/essay-page.html
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この記事のコメント

 
寛さん、記事を詠ませていただきましたよ。
非常に細かいところまでお調べになっていて、とても参考になりました!
日中間の歴史認識には、いまだに大きな溝がありますが、お互いが歩みよって、よく議論する必要があると思います。
Posted by satoshi at 2005年11月28日 23:43

> とても参考になりました!
そうですか。それは何よりです。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年11月29日 00:44

先日は私のブログにコメントを頂きありがとうございました 初めて訪問をさせていただきましたがよく勉強をされているようですね これからも度々お邪魔をさせて頂きますので よろしくお願い致します.
Posted by サワディ at 2005年11月29日 06:34

こちらこそ、よろしく、お願いします。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年11月29日 08:11

TBありがとうございました。
昨日からしばらくお勉強させていただいていました。評論と小論-南京関連についてはとてもわかりやすく、今日早速出先で南京の嘘を紹介するのに使わせていただいてしまいました。(^-^;
ありがとうございます。
哲学を研究していらっしゃる方にリンクして頂けるだけのものが私の独り言にあるのかしらん…とびっくり焦ってしまいました。光栄ですm(_ _)mでもちょっとはずかしい…(^-^;
こちらこそこれからもよろしくお願いします。またいろいろ勉強させていただきます。
Posted by 紫猫 at 2005年12月07日 03:22

ようこそ 紫猫さん♪
こちらこそ、よろしく、お願いします。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月07日 10:39
 
2005-12-21 Wed 09:18 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
先の戦争は共産主義陣営の巧みな誘導で始まったと言うことが良くわかりました。緻密な考証はさすがに哲学者の仕事だと感動いたしました。
2006-10-14 Sat 14:51 | URL | わかちゃん #-[ 編集]
わかちゃんさん、参考にして頂き、うれしく思っています。
2006-10-14 Sat 16:01 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]

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