エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

「資本主義についてのノート」

 資本とは、簡単に言えば、事業を行うためなどの資金と、言い換えることも可能でしょう。では、資金とは何か? 資金とは、分かりやすく言うと、「お金」のことでしょう。

 ここに一万円札があるとして、一万円札の原価は、たしか数円(2~3円)ほどだと聞いています。そうすると、たとえば一ヶ月働いた労賃として、原価が一枚・数円ほどの紙・数十枚を受け取った場合(交換した場合)、どう考えても割に合わないと考えられます。

 原価から考えれば、割に合わない交換を、どうして行うのか? それは、ほとんどの人が、原価・数円の、その紙に額面一万円という価値が有ると、「信用」しているからでしょう。

 そうすると、ここで言えることは、「お金」の遣り取りとは、「信用」の遣り取りに近いところがあると言っても過言ではないことになります。

 ちなみに、「お金」の「信用」が失われると、貨幣価値の暴落、ハイパーインフレということも、現実に有りますから、「お金」と「信用」が、無関係ではないことは分かります。

 故に、以上から、反・資本主義であるということは、世の中で遣り取りされる「信用」を否定し、破壊することだとも、考えられます。

 実際、資本を否定して、「信用」の存在しなくなった社会が、私有財産を否定、強奪し、大量殺戮と大規模な強制労働を実行した、共産主義社会なのでしょう。
スポンサーサイト

政治・経済 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<『隷従への道 -全体主義と自由-』 | HOME | ユルスナールの、『源氏物語』観(転載)>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。