エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

将棋の勝負(アンリ・ポアンカレ)

下記は、ポアンカレ=著、『科学の価値』、吉田洋一=訳、岩波文庫、1992年からの、抜粋。

 将棋の勝負の場に居合わせたとき、その勝負を理解するためには、駒の動きに関する規則を知っているだけでは十分ではない。そういう規則を知っていれば、それぞれの手を規則に従って指したのだということを認め得るようになるだけのことであって、それができたからといって、ほんとうのところ大した値打ちはない。ところが、数学の本を読む人が単なる論理型に過ぎないとすると、そういう読者のなすところは、まさに、いま言ったようなことに異ならないのである。勝負を理解するというのはこれとはまったくちがう。勝負を理解するというのは、将棋を指している人が、勝負の規則を破ることなしに駒を動かしてもよかりそうな手がほかにもあるのに、その手を使わないで駒を進めたのはどういうわけかを知ることなのである。それは次々に指される一連の手を全体として、一種の有機体ならしめるような奥深い理由を見てとることなのである。将棋を指す人自身、いいかえると創案者にとって、この能力が必要であるのはなおさらのことである。(38p~39pより)

 わたしはすでに、数学を教授する際に直観が占めなければならない地位について、これを強調したことがある。直観がなければ、若い精神は数学を理解する道に入門することは不可能である。数学を愛することを学ぶことなく、そこにいたずらな言葉のうえの争いを見るだけのことになってしまうだろう。とりわけ、直観なしでは数学を応用できるようには決してならないだろう。
 しかし、今日わたしが語りたいと思ったのは、なによりもまず、科学自身における直観の役割についてであった。もし直観が学生にとって有用だとすれば、独創的な科学者にとっても、なおさらのこと有用なのである。(36pより)

上記の引用で、ポアンカレが言わんとしていることは、結局、高度であっても数学の計算の規則を機械的に憶えただけでは、ほんとうのところ大した値打ちはなく、学問上の新機軸を創案できてこそ、本当に意味があるのであり、そのような独創のためには、直観が重要であるということであろう。実に、当然のことである。
スポンサーサイト

その他 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<市場と国家 | HOME | 一騎当千>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。