エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

哲学的

比較的若い時分を除けば、われわれ人間の、ほとんどは、世の中で生きている内に、何らかの見通しや指針というものを築いていると思う。そして、その何らかの見通しや指針は、広い意味で哲学的なものと言って良い。要するに、われわれは、哲学的なものと無縁では有り得ない。無縁である場合、われわれ人間の生活の全ては、行き当たりばったりのものとなってしまう。

問題は、その見通しや指針の内容である。洋の東西を問わず、優れた哲学的言説には、重要な意味を有するものが少なからずある。

私の場合、物心が付くか、付かないか、という頃から、注意を引く見るもの全てについて、「これは何か」と自問していた記憶がある。そうこうする内に、こうして自問していれば、いつか将来、すべてを見通し何らかの指針が得られるはずであり、そうすれば、私だけではなく他の人達にとっても有益である、という強い信念を抱くようになり、現在に至っている(結果、哲学に関わること意外には、関心が低い)。

私の哲学(自らのサイトや自著等で公表)の基礎は、十代の初めまでに、ほぼ独自に形成されていたと言っても過言ではない。ただ、強く影響を受けたものはある。ひとつ例を上げると、般若心経の色即是空などは、「物的現象には、実体がない」という意味で、現代語に訳されているが、小学校高学年の頃、その部分的な訳を読み、これは何か凄いことが書かれていると、驚嘆した覚えがある。そこから、さらに、自身の哲学が、深化したように思っている。
スポンサーサイト

哲学・宗教 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<【見通し】 | HOME | 「ケインズ的言説」>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。