エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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【見通し】

見通しという言葉は、広辞苑によると、「新しい事態・課題状況に当面したとき、試行錯誤的に解決を見出すのでなく、問題の全体的構造を把握して解決を図ること」とあり、これは普通、洞察と言われていることと同義でしょう。

ただし、洞察(見通し)の基になるのは、自問自答(思考実験を含む)や試行錯誤などの経験だと考えられます。おそらく、どれだけ多くの自問自答や試行錯誤の経験があるかによって、洞察力に程度の差が生まれるものと考えます。

ある言説を耳にして、それは違う、それは正しいと、的確に判断できるのは、それまでに多くの自問自答や試行錯誤の経験があり、洞察力が養われていたからだと言えるでしょう。昨今の情報化社会では、的確な見通し(洞察)こそ、より重要視されるものと考えます。言い換えると、的確な見通しとは、哲学的な営みの一つであるとも言えます。

たとえば、マルクス主義思想でいうところの「搾取」とは、どういうことかを考える。マルキストらによって、企業に勤める労働者は、搾取されていると云われる。では、失業中の労働者は、当然、なんの搾取もされていないはずである。ところが、ここで疑問が湧き起こる。具体的に言うと、搾取されていない解雇された労働者は、雇用され搾取されている労働者より、所得が低くなるのは何故か。所得の面から言えば、労働者は雇用され搾取された方が、収入が多くなるのである。

また、マルキストらの、未来は必然的に共産主義社会へと至るという主張も、マルクスを含め、誰も、未来に行ったことがないのに、どうして、必然的だと言えるのか。

というように、マルキストらの主張が、瞬時に疑わしい言説であることを、見抜ける(洞察できる)ことは、非常に重要な意味を有するし、大きな利益になることでもある。要するに、共産主義政党政権下で行われたような、甚大な不利益を避けることにも、繋(つな)がり得ることなのである。
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哲学・宗教 | コメント:1 | トラックバック:0 |
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この記事のコメント

 
うそをいっちゃいけません。
それについては、説明したじゃないですか。
自己保存以上に生産した分を丸ごと資本が手に入れていることだって…。
だから生産にかかわらない人は搾取されないかわりに自己保存も危なくなっているわけでしょ。
畑でも作って、野菜を作れば、取れた野菜はまるごと自分の収入です。
間違った概念で洞察しても意味はありません。
Posted by くまげんXp at 2005年12月03日 12:39

くまげんXp君は、好い加減なことを言うのは、やめて下さい。貴方は納得できる説明を、まったく何ひとつしていません。
要するに、買われない労働力(失業者の労働)に経済的価値がないということは、マルクスの労働価値説に反します。
以前も、私のサイトの掲示板で紹介しましたが【労働価値説】『ウィキペディア(Wikipedia)』からの抜粋です。
「そして、これらの価値を測る絶対的尺度が、商品に投下された「労働量」である。価値は、抽象的人間労働によって生み出されるものであり、希少性や一時的な需要によるものでないとマルクス経済学では考える。(労働価値説)」
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月03日 14:49

「希少性や一時的な需要によるものではない」。マルクスの労働価値説は、希少性とは無関係であり、一時的な需要とも無関係だと言っているのです。ということは、一時的ではなく常時(常に)、需要とは無関係に(買う人が居なくとも)、要するに、ほとんど無条件に、労働には価値(意味)があると言っていることになるのです。
ところが、現実では失業者に、給与は支払われませんし、畑で野菜を作っても旱魃や風水害により、必ず作物が取れるとも限らないのです。ましてや、取れた野菜が、必ず売れるとも限らないのです。さらに言えば、野菜を作る費用以上の、収入が、得られない場合もあります。
このようなことに対する納得できる説明が全くなく、放言ばかりなので、くまげんXp君については、私のサイトの掲示板で、投稿を禁止し、以後、投稿を削除することにしましたが、こちらでも同様とします。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月03日 14:51

くまげんXp君は、ここに投稿が出来なくとも、自分のブログかサイトでも作って、だれそれの、このような説は、これこれ、こういう理由で間違いである、という主張を、どうどうとすれば良いのである。
ただし、くまげんXp君が、いくら共産主義思想を擁護したとしても、共産主義政党の政権下で行われた恐怖政治による、強制労働・大量餓死・大量殺戮の厳然たる事実を否定することは出来ないのである。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月03日 18:22

だって間違いですもん。
買われない労働力は商品に転化しない(物象化)しないから…というよりも商品に転化するからこそ労働力であって、失業している労働力という言い方は本来おかしいものですね。
はあ、また蒸し返すことになるかもしれませんが、労働価値説は労働の価値について述べたものではありません。
商品の価値について述べたものです。商品の交換価値とは労働量であるというのがそれです。
Posted by くまげんXP at 2005年12月03日 19:42

wikにだって共産主義は載ってますよ。
詠んでみてください。
国家社会主義は果たして社会主義なのかって問題もあるし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
Posted by くまげんXp at 2005年12月03日 19:49

貴方が言った、「商品の交換価値とは労働量である」ということこそ、間違い。
普通、交換価値とは他の商品と一定量交換できる値(値打ち)を言う。
また、『ウィキペディア(Wikipedia)』でも、このように言っている。
「20世紀の共産主義を標榜した国家の多くは、「共産主義によって、皆が等しく自由に、豊かになる」と唱えながら「国家政府の強権によって、皆が等しく迫害され、貧しくなる」という最悪の結果をもたらした。これらの事実は、共産主義を目指す国々が、歴史に刻む「負の遺産」である。」
共産主義思想の理論が、間違っているからこそ、負の遺産を歴史に刻むことになったわけです。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月03日 20:27

「…つまり、各財への資源配分(ここでは労働量)の大小によって各財の価格が決まるのではなく、各財の価格が先に決まって、それに沿って各財へ資源配分がなされるのではないか、というのが近代経済学からの批判であった。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』の「価値」の項から抜粋引用)
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月03日 21:53

勉強になります。
最近は情報を疑わず鵜呑みにしてしまう傾向に有ったので 
読ませて頂いて感じたことは判断の瞬発力を養おうと思いました。
それが『直感』で 先の みとおし まで立てれるなら
その見抜ける洞察力は持久力も兼ね備えていると言う事に
なりますね。 それにはイメージの飛躍と 耐久力が鍵になるのではないのでしょうか。
変な文章でごめんなさい☆
また来ます。風邪にお互い注意しましょう。
Posted by keita murayama at 2005年12月04日 10:49

keita murayamaさん、ようこそ。
参考にして貰えると、嬉しいですね。
Posted by 佐々木 寛 at 2005年12月04日 11:11
 
2005-12-23 Fri 09:08 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]

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