エッセー哲学的 / 佐々木 寛


哲学に関わる、試論および小論、さらには、色々な時事問題や、身近な問題などについても、自由に書いてみたいと思っています。なお、コメントは、リンクにある掲示板へ、どうぞ。ただし、悪戯と思えるコメントは、削除します。

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交換価値と労働価値説

『ウィキペディア(Wikipedia)』、2005年、価値の項目から、抜粋(なお、下記URLの内容は、現在、書き換えられています)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4

「交換(こうかん)は、経済活動の最も基本的な行動である。すなわち、物々交換も貨幣による売買も交換である。マルクス経済学では、交換される二財には、二つを釣り合わせる何かがあると考え、これを価値と呼んだ。交換は価値の等しい二財間で行われることになる。等しくなければ、どちらかが一方的に損をすることになり、いずれは交換が成立しなくなってしまうからである(等価交換の原則)。そして、これらの価値を測る絶対的尺度が、商品に投下された「労働量」である。価値は、抽象的人間労働によって生み出されるものであり、希少性や一時的な需要によるものでないとマルクス経済学では考える。(労働価値説)」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

「しかし、近代経済学から、労働価値説は資源配分をうまく説明できないことが批判された。例えば、熊が鹿の2倍の価格であったとき、労働価値説は、次のように説明する。すなわち、狩人が熊を一匹獲るのに6時間、鹿を一匹獲るのに3時間かかったからだと。しかし、この説明には大きな欠点がある、と近代経済学は指摘する。なぜ、狩人は鹿の2倍の時間をかけてまで、熊を捕らえたのだろうか。それは熊が鹿の2倍の価格だからではないか。もし、熊の価格が鹿の2倍を超えるのであれば、全ての狩人は熊を狩り、熊の価格が鹿の2倍を下回るのであれば、全ての狩人は鹿を狩るのではないか。つまり、各財への資源配分(ここでは労働量)の大小によって各財の価格が決まるのではなく、各財の価格が先に決まって、それに沿って各財へ資源配分がなされるのではないか、というのが近代経済学からの批判であった。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

ここが、重要なのである。マルクスは、交換(売買成立)以前において、労働量に実体的価値を認める立場なのだが、近代経済学では、「各財への資源配分(ここでは労働量)の大小によって各財の価格が決まるのではなく、(交換あるいは売買成立により)各財の価格が先に決まって、それに沿って各財へ資源配分がなされる」という立場なのである。マルクスと近代経済学では、どちらが現実を、より整合的に説明できるかと言えば、近代経済学の立場であるのは、明白であろう。

その理論(言説)自体に整合性があるか、さらに、その理論(言説)と現実(実験結果などを含む)に整合性はあるか、という少なくとも二つの観点から、物事を見るべきでしょう。マルクス主義の理論には、その理論自体の整合性と、理論と現実との整合性の、双方に問題があると言わざるを得ません。
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この記事のコメント

がーん。いろんな人が一生懸命にいって理解してもらえなかったことが、適当な持ち寄り百科事典の解説一つで寛さんは、意見をかえちゃうわけですか。

寛さんは。労働が直接価値に転化する。労働が価値である説だったじゃないですか?
自著の
「狩りに行けば必ず獲物がかかるという説」という表記はいったいどうするつもりですか?

少なくともそのことだけはお答えください。あれ一つでどれだけの人があなたと不毛なやり取りをしたと思ってるんですか?

それにマルクスは実体的価値なんて認めてません。抽象的な人間労働という価値しか共有されるものはないといってるのです。
2007-12-28 Fri 17:23 | URL | くまげん #-[ 編集]
くまげん君が、ウィキペディアの当該箇所を書き換えたのか? だとしたら、どうしようもない人間だな、君は…。
ただ残念なことに、今度は、理論的にマルクスの搾取論が成り立たなくなるはずだが…(笑)。何をしても無駄だよ、マルクスの理論自体がデタラメなんだから(笑)。
2007-12-29 Sat 00:38 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
 
「そして、これらの価値を測る絶対的尺度が、商品に投下された「労働量」である。価値は、抽象的人間労働によって生み出されるものであり、希少性や一時的な需要によるものでないとマルクス経済学では考える。(労働価値説)」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

マルクスの説こそが、需要と供給以前の、抽象的人間労働によって価値を生んでいるという説であることは、くまげん君以外の多くの人には理解できるでしょう。だから、需要と供給以前の労働に価値があるのなら、たとえば、漁へ出かけ、労働をして魚が全く獲れない場合でも、そこには、抽象的人間労働による価値があったと言っていることになります(笑)。
2007-12-29 Sat 08:30 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
がーん。結局まだわかってないのか!
交換されない商品には価値がない。
したがってそれにこめられている労働も価値がない。
ってことをWikiも書いてるのに。
書き換えなんてことはしないがな。
マルクスは
労働が価値を生むということなんかいってないよ。

価値の実体は抽象化された労働だといってるんだよ。っていうかWikiもそう書いてあるでしょ。

で狩りを持ち出すあなたの本は間違ってるから訂正しろとこれまでも何人にもいわれてるでしょ。

 あそこは貨幣や証券、株券などの商品を上げなければ意味がないの。

 これらの紙切れ一枚の後ろにどのような抽象化された労働があるにしてもそれが秒刻みで変動するといいうことは…労働価値説に対する実際的な反例なんですよ。

 だからあそこを変えなさいよ。
2007-12-30 Sun 10:38 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「で狩りを持ち出すあなたの本は間違ってるから訂正しろとこれまでも何人にもいわれてるでしょ。」(くまげん君)

さて、新しい掲示板の方で、何ヶ月もかけて、じっくり議論しようか? 

「価値の実体は抽象化された労働だといってるんだよ。」(くまげん君)

言い換えると、「抽象化された労働に価値の実体がある」となるが、一体それは具体的に言うと、どういうことなのか、答えなさい。

新しい掲示板へ、どうぞ。下記、URLです。
http://keijibann-id.webspace.ne.jp/bbs/
2007-12-30 Sun 16:52 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
わかりやすく
狼は動物だ。
動物は狼だ。
は等しくない。これを論理上は逆という。
逆は真ならず。
したがって寛さんのはとんちんかん。
いい加減に論理学の基礎ぐらいは覚えてください。こんな人の本なのかと思われますよ。

価値はもともと抽象です。
2008-01-01 Tue 19:40 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「それにマルクスは実体的価値なんて認めてません。抽象的な人間労働という価値しか共有されるものはないといってるのです。(くまげん君のコメント)」
「マルクスは労働が価値を生むということなんかいってないよ。価値の実体は抽象化された労働だといってるんだよ。(くまげん君のコメント)」

くまげん君のコメントを、このように並べると、「…マルクスは実体的価値なんて認めてません…」と言いながら、その後すぐ、「…価値の実体は抽象化された労働…」だと言っているのが分かる。要するに、マルクスは、実体的価値など認めないと言いながら、抽象化された労働が価値の実体だと認める、まったく矛盾したことを言っていることになるわけである(笑)。

「狼は動物だ。動物は狼だ。は等しくない。これを論理上は逆という。(くまげん君のコメント)」

普通、この場合、動物は狼を包括する上位概念と言い、狼は動物に包括される下位概念と言う。おそらく、これは論理学の基礎でしょう(笑)。新年、早々、笑わせてもらいました。笑う門には福来る。くまげん君は、お笑い芸人にでもなったら(笑)。
2008-01-02 Wed 11:35 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
価値の実体と実体的価値の違いがわからないのはどういっていいだろうか。

価値の実体は置き換えれば価値の正体だ。
実体的価値は目に見えるものとしての価値だ。

お願いだから寛さんはことばをきちんと使ってほしい。

A=Aはひっくりかえしても同じだこれをトートロジーという。しかし、トートロジーは何もいえてはいない。
A=BがなりたつからといってB=Aがなりたつ場合はほとんどない。包括概念などというものを持ち出さなくても部分集合といえばよい。

その上で論理記号をつかえばよくわかる。

で包括概念を知っている寛さんがわざわざこの言い換えをしたのはどうしてなんですか?

「価値の実体は抽象化された労働だといってるんだよ。」(くまげん君)

「抽象化された労働に価値の実体がある」(寛さん)

逆は真ならずだからそれを利用したかったんじゃないのですか。そういうレトリックはやめた方
がいいですよ。
2008-01-03 Thu 21:16 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「価値の実体は置き換えれば価値の正体だ。(くまげん君のコメント)」
「実体的価値は目に見えるものとしての価値だ。(くまげん君のコメント)」

それでは、「価値の正体」と「目に見えるものとしての価値」とは、何かね。その「正体」と「目に見えるもの」とは、どんなものか聞きたいんだがね。知ってるから書き込んだんだろう(笑)。

「A=BがなりたつからといってB=Aがなりたつ場合はほとんどない。(くまげん君のコメント)」

たとえば、「1+2=3がなりたつからといって3=1+2がなりたつ場合はほとんどない」、あるいは、「5-2=3がなりたつからといって3=5-2がなりたつ場合はほとんどない」などと言ったら、どうしようもないなと思われるでしょうね。どう考えても、無数にあると思えるが(笑)。
2008-01-04 Fri 00:07 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
2=1+1ではありませんよ。
1+1=2ですが。

なぜなら、1+1の答えは2しかありえません。
一対一対応です。ですからこれは真といえます。

一方で2になる計算は無限にあり、したがって
一対多対応になるのでこの関係を不定といいます。


しかし2という数は1+1だけをあらわすものでは
ありません。4-2だって2なのです。したがって
これは不定なのです。(論理上であって計算上
ではない。)

2とは何かと聞かれて答えられるのは自然数で1の次の数しかありません。加法で答えてはいけないのです。

計算と論理をごっちゃにするのがまず間違いです。

したがっておっしゃっていることは数的論理学に
おいてもあまりにも素朴な思考の誤謬にすぎません。

あと日本語がわからないって御自身でいってて
いいんですか。

価値の正体をマルクスは抽象的な労働といって
いるんですよね。

目に見えるものとしての価値なんてないでしょ。
価値そのものが社会的な約束ですから。強いていえば商品そのものですよね。

でも商品は価値じゃないですよ。だけど価値を表すためだけの商品が一つだけあります。貨幣ですね。貨幣が実体としての価値ということになりますが、これは変な理屈です。

じゃあ千円は千円の価値があるのか?どうしてあるといえるのか?千円のものが買えるから。
じゃあなぜ千円のものが買えるのか?千円と
書いてあるから。というような循環論になってしまいます。’(注 マルクスの労働価値説も結局は貨幣の媒介なしには成り立たない。したがって寛さんがいう労働に価値がある説ではまったくない。)
2008-01-04 Fri 05:10 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「2=1+1ではありませんよ。
1+1=2ですが。」
(くまげん君のコメント)

しばらく、このまま、くまげん君の恥ずかしいコメントを晒(さら)しておきたいところです(笑)。
2=1+1ではないが、1+1=2であるという、くまげん君のコメント(笑)。もはや、くまげん君によって、算術および数学の基礎は、破壊されてしまった(笑)。

それから、たとえば、「私は青い服を着ている」と、「青い服を着ている私」とは、くまげん君以外の普通の人にとっては、同じ意味であり、このような言葉による表現は無数にあります(笑)。

「価値の正体をマルクスは抽象的な労働といって
いるんですよね。 」
(くまげん君のコメント)
「労働に価値がある説ではまったくない」
(くまげん君のコメント)

だから、ようするに、価値の正体は抽象的な労働だと言いながら、労働に価値がある説ではないというのは、まったく矛盾した説でしかないの(笑)。

「2=1+1ではありませんよ。
1+1=2ですが。」
(くまげん君のコメント)

このコメントと同じように、まったくの矛盾(笑)。
2008-01-04 Fri 11:01 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
2=1+1は計算としては正しいのです。
が2の定義としては間違ってますよ。

一方で1+1=2は1+1の定義になってます。
ですから真です。
逆は真ならずなんですって。どうせ読めないだろうけど。

あああまた繰り返しだあ。俺は絶対正しいと思ってさえいればいつでも何を提示されても自分と違うものは相手が間違ってると言い切れちゃうんだよ。はあ。

 いいですか。労働が直接価値になんかならないんです。あと最初にもどるからやめますよ。ともかく寛さんが字面だけで「労働価値説」を「労働が価値である説」にしちゃったのが間違いなんですって。ネイチャーさんとかいっぱいいろんな人に指摘されてるのに忘れてるし。

 都合のいい脳髄で楽なことですね。
2008-01-04 Fri 12:20 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「2=1+1ではありませんよ。
1+1=2ですが。」
(くまげん君のコメント)

しばらく、このまま、くまげん君の恥ずかしいコメントを晒(さら)しておきましょう(笑)。
2=1+1ではないが、1+1=2であるという、くまげん君のコメント(笑)。
2008-01-05 Sat 00:14 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
論理学と計算を同値として考えるんですから。

論理学上はそんな計算式を扱うことはほとんど
ありません。文を式に直してその関係を単純化するんです。

もともとがなんで文を逆(いいですか論理学上の逆ですよ。)にすんの?
逆は真ならずだよ。って指摘なんですよ。

逆もまた真なりみたいなときは二つは同値であるといいます。これって
1+1=1+1 や3-1=1+1は逆にしても成り立ちます。
また2=2も成り立ちます。

でも2=1+1は成り立ちません。これを文にすると2は1に1を加えた数であるという2の定義になるんです。これは間違ってます。

亀はのろい。 のろいは亀だ。は明らかに逆は成り立ちません。のろいからって亀じゃなくなめくじやかたつむりであることもありますから。

ここまで具体的にいってもまだ理解しないのでしょうか?

理解しないでしょうね。寛さんですもんね。
2008-01-05 Sat 00:21 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「それにマルクスは実体的価値なんて認めてません。抽象的な人間労働という価値しか共有されるものはないといってるのです。(くまげん君のコメント)」
「マルクスは労働が価値を生むということなんかいってないよ。価値の実体は抽象化された労働だといってるんだよ。(くまげん君のコメント)」

上記の、「…マルクスは実体的価値なんて認めてません…」と言うコメントの後、「…価値の実体は抽象化された労働…」と、コメントしている。くまげん君自身のコメントの中で、「実体的価値」から「価値の実体」へと、逆の表現がなされている。このように、くまげん君は自分自身で先に逆の表現をしているのである(笑)。

…都合のいい脳髄で楽なことですね(笑)。
2008-01-05 Sat 09:54 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
ふざけていってるのじゃなくてもしも本当に本気でそれをいってるなら…言語障害の可能性がありますよ。

 赤いトマトとトマトの赤は同じなんですか?

寛さんは同じだっていってるんですよ。小学生でも違うっていいますよ。

まず、わしを共産主義者だと思ってるでしょ。
だから、こいつのいうことは出鱈目なので全部否定すればいいんだ。みたいに考えてませんか。

 わしはただ、論理的に大間違いをしてますよ。
思いっきり事実から飛躍した結論。
(マイクロプロセッサーの開発=パソコンの発明
みたいな。)ことを堂々とやっているのは変ですよって指摘しているだけですよ。


 赤いトマトとトマトの赤が同じだというならわしは諦めます。その域の人には「あいうえお」から教えないと話し合うなんてことは不可能ですから。

 ただそのときは、あなたの本は出鱈目が書いてあるということになりますよ。
2008-01-05 Sat 10:03 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
ということは、逆の表現でも真の場合もあるということだね。

「2=1+1ではありませんよ。
1+1=2ですが。」
(くまげん君のコメント)

このような出鱈目を言っても、君は自分の過ちを一切認めない非常に独善的な人間であることは、これを読む、第三者には、よく理解できると思う。

「マイクロプロセッサーの開発=パソコンの発明…」
(くまげん君のコメント)

これで、君の本性が、よく分かるよ。私は、そんなことは、言っていません。でっち上げるのは、やめなさい! 
2008-01-05 Sat 11:18 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
えっと意味が違うっていうことは逆は真ならずってことですよ。

 赤いトマトとトマトの赤の違いはどこいっちゃったんですか。

 話をわざとずらしてますね。じゃなくて天然だったらいよいよ本の価値が問われますよ。
2008-01-05 Sat 11:23 | URL | くまげん #-[ 編集]
 わしは価値の実体と実体としての価値が同じだといってると思ってますか?

 その二つは違うから別に表現として成り立ってますよ。っていってるんですよ。
2008-01-05 Sat 11:24 | URL | くまげん #-[ 編集]
 
「A=BがなりたつからといってB=Aがなりたつ場合はほとんどない。」(くまげん君のコメント)

君の名前は、何と言いますか。
何と言いますか、君の名前は。

私は、佐々木です。
佐々木です、私は。

今度は、数式ではなく、文章で、思考実験すると、以下に、日本人一億人以上もの同様の例が、考えられる。故に、文章の場合でも、逆が真の場合は、無数にあることが分かる。依って上記の、くまげん君の「…ほとんどない。」という言説は、誤りである。

さらに、ちょうど、いま読んでいる、フランスの哲学者・コンディヤックの著作から、引用しよう。

「アレクサンダーは・打ち負かした・ダリウスを<Alexander vicit Darium>と言っても良いし、「ダリウスを・打ち負かした・アレクサンダーは<Darium vicit Alexander>と言っても良いのだ。

それから、辻褄の合わない、君の言説の説明責任は、君自身にある。
2008-01-06 Sun 19:37 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
 
本来、私のサイトの掲示板および、私のブログ等は、私の論文や言説の内容に関して、議論するために、設置したものであり、私を含む個人の、私的(プライベート)な問題を議論するために、設置したものではありません。
当然のことですが、管理者として、特に、私的(プライベート)な問題に関しては、投稿も即座に削除しますし、投稿者も以後、投稿禁止にします。

「2=1+1ではありませんよ。
1+1=2ですが。」
(くまげん君のコメント)

小学生でも間違っていることが分かる。こういう小学生以下の馬鹿なコメントをして、自分の間違いも認められない独善的な人間とは、そもそも議論になりませんし、その上、他人の私的(プライベート)なことまでインターネット上で話題にするような人間は、即座に投稿を禁止せざるを得ません。

ちなみに嶋正利氏は、マイコンの父とも言われています。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20061004/249874/
2008-01-07 Mon 23:57 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
フランスの哲学者、コンディヤックの著作からの引用は、『人間認識起源論(下)』、岩波文庫、151~152pより。

「アレクサンダーは・打ち負かした・ダリウスを<Alexander vicit Darium>」と言っても良いし、「ダリウスを・打ち負かした・アレクサンダーは<Darium vicit Alexander>」と言っても良いのだ。
2008-01-10 Thu 17:40 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]
みんな の プロフィールは、アクセスアップをお手伝いするサイトです。
http://blog.livedoor.jp/mp_1mpro/


より多くのひとに貴方のブログを見てもらえます。
2008-01-16 Wed 14:29 | URL | みんな の プロフィール #-[ 編集]
佐々木さん、
くまげんさんの言ってる事理解できるよ?
落ち着いて読んでみて。
頭っから否定してるから、わかりたくないだけなんじゃないの? ほんとはわかってるでしょ。
素直になってみて。お願い。
2008-01-27 Sun 04:02 | URL | とおりすがりだけど… #L8AeYI2M[ 編集]
 マルクスの『共産党宣言』を読んでみて下さい。如何に、マルクスの共産主義が、邪悪な思想であるかを、理解できるはずです。
 「内乱を追求」、「破壊しなければならないものは、これまでのすべての私的安全」、「所有権への、…専制的干渉」、「土地所有を収奪」、「財産の没収」、「労働強制」などなど…。
 スターリン、毛沢東、ポル・ポトらは、マルクスの共産主義を忠実に実行し、百万人、千万人単位の膨大な数の犠牲者を出したのです。
2008-01-27 Sun 19:39 | URL | 佐々木 寛 #-[ 編集]

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