エッセー哲学的 / 佐々木 寛


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相対主義についての、ウィキペディア記述の間違い!

相対主義の自己矛盾

相対主義について非常に頻繁に持ち出される古典的批判は、それが自己言及のパラドックスに陥るために、立場として矛盾を含んでいる、あるいは完全ではない、というものである。古くはプラトンが『テアイテトス』にて指摘した。(自己言及のパラドックスも参照。)

批判の概要は次のようなものである。相対主義は典型的には「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」というような主張を含んでいる。しかし「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」という主張自身は、果たして絶対に正しいのか、それとも、絶対に正しいということはないのか、という点をめぐる矛盾が発生する。もしも相対主義者が正しいとしたら、いかなる命題も絶対に正しいということはないはずなのだが、それならば、「いかなる命題も絶対に正しいことはない」という命題も絶対に正しいということはないはずで、すなわち相対主義者の基本的な主張は間違っていると考えることが出来る。

上記の引用は、『相対主義 - Wikipedia』(2009/05/13/12:00現在)より。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9

基本的に、上記引用のウィキペディアの記述内容こそが、間違い。

以下に、間違いである理由を述べる。まず、ウィキペディアでは、“相対主義は典型的には「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」というような主張を含んでいる。”と、述べているが、「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」という命題は、相対主義の命題ではなく、絶対主義の命題である。こんな簡単なことに気付かないことに驚きを感じる。それから、相対主義は、自己言及になるから、間違いだと言いたいようだが、それこそ、間違いなのである。自己言及でも矛盾になる場合と、矛盾にならない場合が、共に、存在するからである。次に一つ例を上げる。カッコ内の、「この文は十一文字である」、という自己言及の文には何の間違いもないことは明白であろう。そして、相対主義というのは基本的に、「条件により、正しいことばかりではないし、間違ったことばかりでもない…云々」という立場を言うのである。また、現実に、より善いことや、より悪いことも存在し得るというのは、相対的であるからに、他ならないのである。
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